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自選note

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自分のお気に入りの投稿・読み返したい投稿をまとめました。
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2021年12月の記事一覧

不毛

詳細は伏せるが、あるわからないことを考え込んだ結果、「理解しようと努めるだけ不毛」という結論に至った。

思考や想像などでは到底及ばない、もっと根深いものがあるのかもしれない。論理の違いであれば、視点や視座の違いなどで納得のいく解決ができることも多い。しかしある種の事は、生理的な欲求、遺伝的な性質の違いのような、もはやどう足掻いても割り切れない根深さがある。

それは理解する/しないの問題として扱

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小さな石

あるとき、誰かが池の中に 

小さな石を放り投げた

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リカバリー

今日読んだ小説に、「良い職人は失敗を正せる職人だ」という台詞がありました。

これを読んで、かつてスランプになっていた頃、絵の先生に「一度盛大に失敗してみて、そこからリカバリーしてみたらどう?」と言われたことを思い出しました。

失敗せず、「上手く」描くことを自分に求めてプレッシャーを感じていたのかもしれません。今でも、上手くいかないと落ち込みそうになることがしばしばあります。失敗を恐れると緊張し

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責任について

「怒りは怒っている人自身の問題だ」、という意見に、私は全面的に賛同する。なぜなら、いくら理不尽で不愉快なことがあろうと、それに憤りを覚えるのは自身の問題だからだ。逆に、人を故意に怒らせるような言動をとるのは、その人自身の問題だと思う。

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芸術と身体

こんな文章を読みました。

ラスコー、アルタミラの洞窟壁画にはじまる絵画は、成立当初から既に高度なものであったが、動物画に比べ人物画は稚拙だった。その理由は「解剖」にあるんじゃないか。旧石器時代の人は狩りをし、食べるために動物を解剖したから動物画はリアルだった。人物画が発展したのは古代エジプトでミイラが作られるようになってからで、そのとき人間を解剖したために、肉体の内側を意識するようになり、人物画

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創造と鑑賞 岡本太郎

はじめて岡本太郎の文章を読んだ。私の中での直情的なイメージと異なり、理性的で論理的な文章で驚きを覚えるとともに感銘を受けた。以下、うろ覚えだが趣旨。

"創造と鑑賞は実質的に違いはない。そもそも我々はものを見るとき、同一に見えているわけではなく、「自分の見たいように見ている」のであって、心の中のイメージはそれぞれ違う。「鑑賞」する時も同様に、各々違うものを見ていて、新しい価値を創造し、作品を通じて

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無になりたい

コミュニケーションに疲れた。ひとりになりたい。誰とも関わらずに、誰かを演じずに、忘我する時間が欲しい。

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キャンドルの炎

キャンドルの炎

キャンドルの炎は

自らを取り巻く かすかな空気の振動を

繊細に敏感に感じとり 

それに合わせて踊るように揺れる

同時に我が身を燃やしながら

周囲をそっと照らし ほのかにあたためる

遠くのひとにはそのぬくもりは伝わらない

彼女が明るさとぬくもりを分けてやれるのは 

自分の周囲だけだから

それでもよい、と彼女は思う

彼女の火は 

すべてを照らし 包み込むには

小さすぎることを知

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