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午後の最後の芝生

ずっと独身でいるにちがいない。
なんとなくムスメのことをそう思っていた。
オタクで偏屈でひきこもり気味。家から出ずに何日もすごせる。
ときにはピアスを一緒に見たり、カフェにいくこともあった。

ところがこのムスメが、そうそうに結婚してしまった。

遠距離恋愛の彼と、2人で近隣の都市に就職し、いつのまにか同居していた。
休日にはときどき2人で実家に遊びにきてムスメの部屋に泊まっていった。
物静かな彼は、控えめにオットのビールの相手をしてくれ、ときにはみんなで食事にも行った。

正式に結婚、転職すると、ふたりで話し合って、もっともっと遠いところに引っ越していった。
コロナ禍では、なかなか帰省できないくらいの距離だ。

誰もわたしたち夫婦の持ちものにはならない。
巣箱の場所を忘れたようにどこかで飛んでいってしまう。
それが思ったよりも、あっというまで、ときどきポカンとしてしまった。

休日には窓をあけ、ムスメの部屋の空気を入れ替える。
子供のころに兄弟で使った2段ベッドをフラットにして、ふたつ並べている。
(コロナでなかなか帰省できないけれど)いつでも2人で泊まれるように。

友達と映った写真がコルクボードに並んでいる、いくつかはもう、色あせている。読んだ本がまだまだそのままになっている。背伸びして買った洋書のペーパーバックもある。たんすの中には小学生の頃の自由帳や、おえかきに使ったペンがたくさん残っている。

それを見ているといつも、村上春樹の「午後の最後の芝生」という短編を思い出してしまうのだ。

芝生を刈るアルバイトをしていた主人公は、仕事の終わりに女主人からビールをご馳走になり、その家の娘が住んでいた部屋に案内をされる。
「この子はどんな子だったのだろうか? たんすの服やこの部屋の感じから想像して教えてくれ」と言われ、主人公は、自分の正直な感想を女主人に述べる。

何年も一緒に生活したムスメは、おそらく今も、同じ思考で同じ生き方をしているだろう。あるいは、少しは変わったのかもしれない。だけどそれは、わたしの知らなくていい2人の生き方だ。

それでも。この部屋に入ると私は、なぜか必ず「午後の最後の芝生」を思い出してしまう。
そんな「脳の回路」がときどきさみしい。

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