作る楽しさと捨てる大変さの話
美術系の大学では卒業する時に、論文ではなく卒業制作というのがある。
私は油絵科というところにいたので、卒業制作の規定は200号以上の絵画2点の制作だった。
200号とさらっというけど、2.59mx1.94mだ。かなり大きい。
木枠を買うと五万と高いので、自分で木枠を作ってベニヤ板を貼ったものを作るのが流行った。(大学には木工室があり、材料さえ持ち込めばその辺の加工は結構簡単にやってもらえたのだ。)先を読む友人は木枠を買っていた。
卒業のころは自分が油絵を描いて生計をたてる!なんて全く思っていなかった。(今でも思っていないけど。恐ろしいことに卒業してから20年もたっている---)
〇〇会みたいなのは大学の派閥で決まるとか、職業の選択肢が「美術の先生・予備校の先生」か「画材売る」か「広告」しかないというのにも震えたし。(今ならもっと考えろ!とかネットで!とかなるんだろけど、ネットがまだあまりない時代だったんですよ。地方と都会の格差がまだまだあったんですよ。と意識の低い言い訳。まぁ何も考えてなかっただけですが)
で、卒業した。すぐに困った。家に置くには作品が大きすぎる。2mの絵を飾る場所なんて我が家にはない。実家に合わない。
賢い友人は、その状態を見越して木枠のキャンバスを買っていたのだ。絵を外した木枠を下級生に売って、家に持ち帰るという愚行を軽く回避。賢くない私は送料というか運賃を払って、トラックで家まで搬送してもらった。
そして、そのまま絵は約10年ほど廊下の窓を遮断したまま放置された。
その後。やってきた断捨離ブーム。「絵の道具をいつまでもほったらかしにしているから、私は先に進めないんだ!」と燃え上がった私。
ノコギリで200号の絵を解体して可燃ゴミだか不燃ゴミだかに出す。ギコギコと近所の人が見に来るレベルの大仕事。ついでに、油絵の具の道具をまとめて、美術系の予備校に寄付。という大掃除をやってのけたのでした。
ごみ収集車が全て持って帰ってくれたのをみた時の、気分のよかったことと言ったら。。スッキリした。
その時にやっと「私は絵画を勉強したけど、油絵を続けてないからって間違っている訳ではないんだよ。アートとかクリエイティブとかな仕事をしてなくてもいいんだよ」と腹落ちしたのだ。
そこにいたるまで、できない自分を実は快く思っていなかったということにすら、気づいていなかったんですよ。自分はクリエイティブなことをしていないからだめだ、周りは頑張っているのに。。と負のループに入ってたんですね。今思えば。
まぁ、一生懸命に作ったら捨てるの辛いですよね。でも捨てないと前に進めないことってやっぱりあるなーとまとめます。
と、なんとなくいい話にしてしまうのはよくないな。
大きくて思入れがあっても時間がたって、その思入れがなくなれば要らないもの。大きかったり、みんなで作ったりで大事とされているものが、今の時代にふさわしいかってどうやって判断するんだろう。
いや、取って置くのが文化とかわかるんですけど。その価値がわかるのが教養っていうのもわかるけど。まあいいや
ノートでgifを貼るとバグるのなんでだろ?
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