見出し画像

佐藤正午さん「ファンならではのネタ」をわたしに語らせてください(その1)

佐藤正午さんのロングインタビュー。筆がノッていらっしゃるのか、誰かにツッコんで欲しいのか、みたいなネタが最近多くて、ひとこと言わずにいられないんです。こんな世界の片隅で叫んでみても届かないよ、でもここは自分の描きたいことを描く場所なんだからかまやしない。昔のこと、掲示板のこと、サイン会のこと、いろんな「ファンならではのネタ」を私に語らせてください。

出典は毎月「きらら」連載中のロングインタビュー。最近は「昔の掲示板の」みたいな話がちらりちらりと出てきて。ああ、なつかしいなあ、わたしも「昔の掲示板」のことを書きたいなあと思いはじめました。

ずっと書いてはいけないと思ってた。それは「昔がよかった、なつかしい、あの頃はすごかった」という言葉とセットになっていたので。そういう言葉が大嫌いな私は、掲示板のことは縛って放置していました。

もともと佐藤正午ファンページは「shogoさんの誕生日のお祝いに札幌の友人(rainさん)がプレゼントしてくれたもの」と聞いています。掲示板にはshogoさんがいました。管理人というより、みんなのコメントを茶化したり、なんだかそんな感じだったような。

「夜に掲示板を見ると誰かがすごいおもしろいことを書いてて、それにレスしようと昼間ずっと考えているんですよ。それで夜になってまた掲示板を開くと、自分の想像の斜め上をいくコメントがあって、ああ、すごいなあって思うばかりで、コメントできないままだったことも多かった」(sさん談)

たとえば新刊の発売前。「今度(君は5階に住んでいる)という短編集が発行されます」とshogo先生が言われました。時間がたつにつれて本当のタイトルは「君は誤解している」だったということがわかって......ちょっとふざけたり、斜めから見たり、冗談を言ったり、たったそれだけのこと。なのにそれだけで、毎日が楽しくて仕方なかった時代でした。

寡作な作家の新刊と新刊の間の時間は、掲示板は静かにすぎていくようになりました。同じテンションのお祭り騒ぎを毎日続けることなんてできません。rain さんからGTAさんに管理人は変わって。GTAさんが自宅でなくなって一年ちょっと掲示板は「生き続け」、そしてネットから消えていきました。「ぼくが生きているかぎり、この掲示板はぼくが守ります」。その言葉通りの人生でした。


さて。ここからは、わたしの個人的な話です。

わたしは伊坂幸太郎のファンサイトの「無重力ピエロ」が大好きでした。新刊情報、メディア情報がもれなく掲載され、ファンがふらりと訪れて新しい情報をすぐに手に入れられる場所。スタイリッシュでデザインも好きでした。残念ながら今はないようです。

佐藤正午さんにもそういう場所があればと思い、でも、自分のイメージをうまく表現できないままに「佐藤正午派」というファンページを作りました。その後「バチスカーフさん」から「フェイスブックでも佐藤正午ファンの場所をとっておいてよ」と軽く頼まれて、それでできたのがフェイスブックの「佐藤正午ファンページ」でした。思ったほどスタイリッシュなものにはなりませんでいしたが、直木賞効果もあり、たくさんの方が訪れるサイトになりました。

わたしは意地っ張りなので、昔がよかったなんてけして言いません。でも。ロングインタビュー読んで少し気持ちがゆるくなりました。そろそろ、昔の掲示板を知るものとして、少しばかり語ってもいいのかな、と。

まだまだ「まぼろしのサイン会」とか「ほんもののサイン会と坂本さんのちゃんぽん」とか、「日宇町の高校生の話」とか描きたいことがたくさん出てきました。自分でもびっくりするほど溢れすぎています。長くなってしまいそうです。

また続きを書きたいと思っています。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?