「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は、魔法の数字にあふれた、ヒーロー青春映画の傑作だ 【シネマのレンガ路】
「3」それは魔法の数字。
こんな言葉からスタートするのは、3人組ヒップ・ホップグループ、デ・ラ・ソウルの『The Magic Number』です。
ニューヨークの同じ高校を卒業した3人が結成したデ・ラ・ソウル。『The Magic Number』は、子供向け番組で使われたボブ・ドローの『Three Is A Magic Number』をヒップ・ホップにリメイクしたもので、1989年発売のデビューアルバム『3 Feet High and Rising』に収録されています。
そんな『The Magic Number』がエンディングに使われたのが、今回ご紹介する「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」。トム・ホランド主演のスパイダーマンシリーズの3作目。高校3年生になったスパイダーマンこと、ピーター・パーカーの物語です。
映画を見た方なら『The Magic Number』の使用に納得できると思います。
「3」それは魔法の数字。
あらためまして、金子ゆうきです。2021年末にスタートした映画評マガジン【シネマのレンガ路】、2022年は「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」評からスタートです。
先に言っておきます。僕はこの映画、大好きです。主人公のピーター・パーカー、ヒロインのMJ、親友のネッド。3人が今まで以上に好きになりました。
ネタバレありです。特大の部分は、また注意を入れますね。まだ見てなくてスパイダーマンに詳しくない方は、途中まで読んで劇場に行ってもいいと思います。
ところで「マルチバース」ってなんですのん?
物語は前作「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(2019年)のラスト直後から始まります。ヴィラン(敵)・ミステリオの策にハマり、ピーター・パーカー(トム・ホランド)は素顔を暴かれてしまいました。
さらに、フェイク映像のせいで窮地に追い込まれます。スパイダーマンが街の破壊の首謀者で、悪意をもってミステリオを殺害したかのように報道されてしまったのです。その結果、世界から厳しい目にも晒されるピーターと家族、仲間たち。
ピーターが駆け込んだのは、共に宇宙を救ったアベンジャーズの仲間、ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)の屋敷です。
素顔が暴かれたことが、高校3年生のピーターたちの進路にも影響してしまった。宇宙を救ったヒーローが「大学進学がうまくいかない」ことに悩むというギャップ。ヒーローでありながらどこまでも人間味があるのがマーベルヒーローの良いところです。
ドクター・ストレンジによる「忘却の魔術」で解決するかと思われましたが、あえなく失敗。「マルチバース」の扉が開き、別の世界からヴィランが何人もやってきてしまう! 大学進学どころじゃない事態に発展してしまいます。
はい、でました。「マルチバース」。
分かります? マルチバース。正直、僕は分かっていません。ひも理論なんて言われてもちんぷんかんぷんです。女性に食べさせてもらうヒモ理論なら…。いや、こっちも分かりません。
でもまあ、大丈夫です。なんせ、エンドロール後の映像でも「マルチバースのことは詳しく分かっていない」と語られています。いくつもの宇宙が存在していて、そのいくつかが繋がってしまう。くらいの認識でいいと思います。
ともあれ、別の宇宙からヴィランたちがやってきます。それも、過去のスパイダーマン映画に登場した姿そのままで。演じる俳優もいっしょ。グリーン・ゴブリン、ドクター・オクトパス、サンドマン、リザード、エレクトロ。
彼らが登場したスパイダーマンの映画過去シリーズを振り返りましょう。
スパイダーマンシリーズをおさらい
スパイダーマンが初めて登場したのは、1962年のコミック『Amazing Fantasy #15』。ピーター・パーカーは、原作者のスタン・リーが自身の少年時代を投影したといわれています。
日本でも1970年代にテレビドラマが放送され、池上遼一さん作画の漫画などでも知られるようになりました。
ちなみに、1982年生まれの僕がスパイダーマンを知ったのは、1995年にカプコンが開発した対戦格闘ゲーム「マーヴル・スーパーヒーローズ」。画面を飛び回る姿がカッコよくて、よく使っていました。キャプテンアメリカやアイアンマン、サノスを知ったのもこのゲームでした。
40歳前後のあなた、今猛烈にうなづいていますね!
おさらい① トビー・マグワイア版
最初のスパイダーマン映画といえば、サム・ライミ監督の「スパイダーマン」(2002年)。
トビー・マグワイアがピーター・パーカーを演じました。ウィレム・デフォー演じるグリーン・ゴブリンが初めてのヴィランとして登場。ニューヨークを飛び回るVFX映像や、ヒロイン・MJとの逆さ吊りキスなど、映画史に残るシーンを生みました。
「アメコミ映画は、日本でヒットしない」というそれまでの定説を覆し、興行収入75億円の大ヒット。記憶にも記録にも残る作品となりました。
1作目のヒットを受け、シリーズ化。アルフレッド・モリーナがヴィランのドクター・オクトパスを演じた「スパイダーマン2」(2004年)は、高校生とヒーローという二重生活の葛藤がドラマの中心に据えられます。今回の「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」にも通じるテーマです。
「スパイダーマン2」といえば、傷ついたピーターと電車の乗客とのシーン。いつ思い出してもグッときます。乗客のひとりがつぶやく「まだ子どもじゃないか…」は石碑に刻むべき名セリフ。
トビー・マグワイア版のラストとなったのが「スパイダーマン3」(2007年)。暗い内容に賛否がありますが、見返すとそんなに悪くありません。闇堕ちイキりパーカーのダンスも良いし。
おさらい② アンドリュー・ガーフィールド版
人気作を終わらせたままにできなかったのか、新シリーズとして「アメイジング・スパイダーマン」が2012年に公開。ピーターを演じるのは、アンドリュー・ガーフィールド。ヒロインを演じたのは、みんな大好きエマ・ストーン。
監督は、マーク・ウェブ。ラブコメディの「(500)日のサマー」(2009年)でデビューした監督だけあって、恋愛要素が強めです。父親の記憶があることや、ヒロインがMJではないという点も考えると、前シリーズとの違いを打ち出したかったのかもしれません。
ヴィランは、リス・エヴァンスが演じた巨大トカゲのリザード。「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」の橋での戦闘。落ちる車を救出するシーンは「アメイジング・スパイダーマン」を意識している感じでしたね。
2作目は「アメイジング・スパイダーマン2」(2014年)。ジェイミー・フォックスがジェイミー・フォックスとは思えない姿で登場し、ヴィランのエレクトロとしてスパイダーマンと対決しました。未見の方は、ぜひチェックしてみてください。
アンドリュー・ガーフィールド版のシリーズは、前シリーズより興行収入が落ちたことや、SONYとディズニー傘下となったマーベルスタジオとの大人の事情が原因で、2作で終了となります。
タイミングに恵まれてなかったんです。2014年はマーベル映画、群雄割拠の年といえます。「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」が公開。アベンジャーズ周りの映画がどんどん拡大した時期でした。
なんやかんやありまして、2015年にアベンジャーズへの合流とあたらしいシリーズの製作が決定したスパイダーマン。トム・ホランドが、ピーター・パーカー役に決定しました。
「ホーム・カミング」「ファー・フロム・ホーム」「ノー・ウェイ・ホーム」と、タイトルすべてに「ホーム」がつく3部作として、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の一部となったトム・ホランド版。
続いては、そんなホーム3部作についてご紹介していきましょう。
オリジンなき、トム・ホランド版スパイダーマン
トム・ホランド演じるスパイダーマンが初めてスクリーンに登場したのは、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016年)。単独作品が初登場ではなかったんです。他ヒーローの作品で、いきなり登場。
キャプテン・アメリカとアイアンマンが対立し、ヒーロー同士の哀しい闘いへと発展したシーンに参加します。スパイダー・ウェブ(クモの糸)でキャプテンアメリカの盾を奪い鮮烈なデビューを果たしました。
その後、単独作として「スパイダーマン:ホーム・カミング」が2017年に公開。監督はその後のシリーズ3作すべてを手掛ける、ジョン・ワッツです。
アイアンマンことトニー・スタークにアベンジャーズとして認められようと空回りする姿は、初々しく微笑ましいほど。「ホームカミング」とは、アメリカの高校で行われる伝統行事で、卒業生を迎えてのお祭りのようなもの。タイトル通り、高校のイベントと恋が絡んだ青春映画としての側面も強いです。
実は僕、「ホーム・カミング」を見て驚いたんですよ。
「あれ、オリジンやらないの?」って。
「オリジン」の意味は"起源"や"始まり"。ヒーローものでは「誕生譚」みたいに使われます。スパイダーマンには、原作のコミックから脈々と続くオリジン・ストーリーがあるんです。
特殊なクモに噛まれ、超人的な力を手に入れる。戸惑いながらも力に溺れてしまい、大切な人を亡くしてしまう。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という言葉の重みを受け止め、「親愛なる隣人」としての自覚に目覚める。
パターンは様々ありますが、基本は同じ。
トム・ホランド版にはそれがなかったんですよ。登場した瞬間からスパイダーマンだったし。ピーター・パーカーが、ただのピーター・パーカーだった瞬間がないんですよ。
「もうみんなスパイダーマンのオリジン分かっているよね? やらなくても大丈夫だよね?」みたいな意思を感じました。オリジンは、すでに多くの人が知っているでしょうから。
話を戻します。
トム・ホランド版の単独2作目は「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(2019年)。
スパイダーマンは、原作から「父の不在」と「父さがし」を描く物語でもあります。ホーム3部作の初期での父は、アイアンマンことトニー・スタークです。1部の「ホームカミング」が父と絆を結ぶ物語だとするならば、2部の「ファー・フロム・ホーム」は父の本質を理解し、乗り越える物語。
トニーからアベンジャーズのリーダーを託され、苦悩するピーター。ミステリオとの闘いを通して、トニーの本質は、派手さや傲慢ともとれる人間性ではなく「知力と技術で状況を変えるモノを自ら作りだすコト」であることに気づきました。ジェット機内で自分なりのスーツを作るシーンは、最初の映画「アイアンマン」のトニー・スタークが重なり、子どもの成長を見るような感動が押し寄せました。
ミステリオにより、正体を暴かれてしまうピーター。さらに、フェイク映像により悪役に仕立てられてしまいます。
さあ、「ノー・ウェイ・ホーム」です。ようやく辿り着きました。
これだけ書いておいてなんですが、「過去作知っていないと楽しめないのでは?」問題は行くところまで行った感がありますよね。僕もMCUの映画・ドラマすべて見ているわけではないです。「あれ見てないの?」マウントだけはくれぐれもやめましょう。
さてさて、それでは「ノー・ウェイ・ホーム」の核心に迫ります。特大のネタバレ解禁します。ネタバレが出るまで、改めて過去シリーズの時系列と名シーンを並べますので、見てない方はその間に劇場へ行ってください。
【特大ネタバレ注意】異端のオリジンストーリー
■サム・ライミ監督 トビー・マグワイア版
「スパイダーマン」(2002年)
「スパイダーマン2」(2004年)
「スパイダーマン3」(2007年)
■マーク・ウェブ監督 アンドリュー・ガーフィールド版
アメイジング・スパイダーマン(2012年)
アメイジング・スパイダーマン2(2014年)
■MCU合流後 トム・ホランド版
「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016年)
「スパイダーマン:ホーム・カミング」(2017年)
「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」(2018年)
「アベンジャーズ/エンドゲーム」(2019年)
「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(2019年)
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(2022年)←今ココ
さあ、もういいですね。
メイおばさんを亡くし失意のピーターを救ったのは、2人のピーター・パーカーです。初見時は声が漏れました。まさか、トビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィルドまで出てくるなんて思わなかったので。となりの男性は、拍手してました。気持ちは分かる。
別世界のスパイダーマンがスパイダーマンを救う。これ自体はアニメ「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018年)でもやったことです。それを実写で、そして演者もそのままに実現したんですから、本当に凄いことです。
「ファー・フロム・ホーム」では、ミステリオは別宇宙からきたという嘘と、フェイク映像に苦しめられました。しかし「ノー・ウェイ・ホーム」は「本当の」別宇宙からやってきた「本当の」ピーター・パーカーが救ってくれるんです。前作からの流れも完璧。
そのまま帰せば死んでしまうヴィランたちを治療して帰そうというピーターの想いをピーターが否定せず協力するのもいいんです。
あ、ピーターピーターややこしいですね。劇中の設定に合わせて、ここからは以下のように記載します。
トム・ホランドのピーター・パーカー ⇒ ピーター①
トビー・マグワイアのピーター・パーカー ⇒ ピーター②
アンドリュー・ガーフィールドのピーター・パーカー ⇒ ピーター③
ピーター②も、ピーター③も、大切な人はもちろん、ヴィランでさえも救えなかったことを後悔している。
「どんな大義の前でも、ひとつの命を救うことを諦めない」。それはマーベルが繰り返し描いてきた「ヒーローの精神」です。街を、世界を救うという大義があっても、たとえ大切な人の仇だとしても、命を奪う選択はしない。
アベンジャーズの存在しない宇宙からきたピーター②もピーター③も、「ヒーローの精神」をたしかに持っている。
ピーター①のグリーン・ゴブリンへの憎しみをピーター③が止めたのは、キャプテン・アメリカの盾を模した建築の上でした。盾は、言うまでもなくアベンジャーズの象徴。その上で紛れもない「ヒーローの精神」をピーター②が示したことは、スパイダーマンの世界が繋がっている何よりの証明だと思います。
そして、「誰かが犠牲になるしかなければ、自分が犠牲になる」ことを選ぶのも「ヒーローの精神」です。「スパイダーバース」で選択を迫られる際、年齢も性別も種族もちがうスパイダーマン全員が「自分が犠牲になる!」と手を挙げるシーンは何回見ても最高です。
「自分が犠牲になる」。それが「ノー・ウェイ・ホーム」におけるピーター①の成長の象徴として描かれました。
最初の「忘却の魔術」は、「大切な人だけは記憶を残してほしい」というピーター①の願いのために失敗。マルチバースの扉が開いてしまいます。ピーター①のエゴが原因だといえます。
(ドクター・ストレンジもちゃんと打ち合わせしとかんかい! というツッコミには忘却の魔術をかけましょう)
ピーター①が世界を救うために最後に選んだのは「世界から忘れられること」です。例外なく全員に忘れられる。大切な人を亡くし、同じ悲劇を経験したスパイダーマンがたしかに存在することも知ったピーター①。彼は「大義より目の前の命」と「犠牲になるなら自分」というヒーローの精神を自分のものとしました。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という言葉の意味を理解するに至ったんです。これ以上ないほどのオリジンストーリーじゃないですか。
まさか3部作の最後にオリジンを持ってくるなんて。それも、過去のシリーズを俳優もそのまま絡めるという異端ともいえる仕掛けを使って。驚きながらも猛烈に感動しました。
ピーター①を忘れてしまった世界で、彼の孤独を理解できるのは同じピーター・パーカーです。同じ苦しみを抱えた人が、この宇宙ではなくとも必ずいる。その事実がピーター①の決断を後押ししたことでしょう。
そして、スクリーンを見つめる僕らは「ピーター・パーカーが世界を救ったスパイダーマン」であることを知っています。忘れません。
高校生活の大半を宇宙救済に捧げ、ハタチ前で宇宙から存在を忘れられ、それでも尚自分の「ホーム」を守るために戦う親愛なる隣人。そりゃあ、好きになっちゃいますよ。ピーターを。
過去シリーズのキャラクターが総登場する1回限りの大仕掛け。それを最高の形で活かしたジョン・ワッツ監督に大拍手したいです。
ヒーロー映画でも青春映画でもない、ヒーロー青春映画
これだけヒーローヒーロー言ってきてなんなんですけど、僕がトム・ホランド版を好きなのって「ヒーロー映画」と同時に「青春映画」として素晴らしいからなんです。
特に「ノー・ウェイ・ホーム」でそう思いました。
「映画評を書く映画は、必ず2回以上見る」がルールなので、今回もそうしました。で、2回目見る日に「ああ、またあの3人に会えるんだな」ってうれしくなったんです。「あの3人」とは、ピーター①・②・③のことじゃありません。ピーター、MJ、ネッドの3人。
自分でも思った以上に3人が好きになっていたんです。
よい例えじゃないかもしれませんが、小学生のころ「ズッコケ3人組」をたのしく読んだ感覚に近いです。見た目も個性もバラバラな3人が事件に巻き込まれ、ドタバタもしながら解決する。「忍たま乱太郎」とかもそうですよね。
ホーム3部作は、高校生活をとおして、3人の仲が深まっていく物語でもある。「ノー・ウェイ・ホーム」は、その終着駅です。
ピーターは2人を本当に大切だと思っているから、自分の正体を明かさなかった。知っていれば、危険にさらされてしまうから。傷ついてしまうから。ヒーローが正体を明かさないのは、周りの人に危険が及んでしまうからでもあります。本当に大切だから、明かさない。子どもから大人に変わる成長の輝きと苦さがつまった素晴らしいラストでした。
ジョン・ワッツ監督は、ホーム3部作の前に手がけた2作でも「子どもの成長」を重要な要素としていました。特に「COP CAR/コップ・カー」(2015年)。家出少年2人が、軽い気持ちでパトカーに乗ってしまい恐ろしい出来事に巻き込まれます。ラストシーンで運転する少年は、オープニングとは別人のような顔をしています。
通過儀礼としての、不条理な現実。
ジャンルやテイストは違いますが、ジョン・ワッツ監督作品に共通するテーマを感じます。長編2作しか作っていない監督にスパイダーマンを任せたマーベルスタジオも、「子どもから大人への通過儀礼を描くうまさ」を見込んだのではないでしょうか。そして、それは間違っていなかった。
3つ目のシリーズ、シリーズ3作目、高校3年生、3人のスパイダーマン、3人の仲間。長編3作目からスパイダーマンを手がけた監督。
「3」それは魔法の数字。
これからのマーベル映画がどうなるか、楽しみですが、ついていくのが大変だなあという思いもあります。
ただ、今は『The Magic Number』を聴きながら、ヒーロー青春映画の傑作の余韻に浸りたいと思います。
大好きな3人にまた会えるのを願いながら。
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