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【鬼滅の刃】錆兎がかっこよすぎる!!義勇が最終選別を突破できた理由

錆兎と義勇さんの2人は、鱗滝さんの兄弟弟子として、一緒に修行に励み、一緒に釜の飯を食い、一緒に暮らしていました。


錆兎が最終選別を突破できなかった理由

錆兎と義勇さんは一緒に最終選別に挑みました。

義勇さんは最初の鬼で怪我をさせられて、約7日間気を失ったまま選別が終わってしまいました…

そんな中、錆兎が鬼をほとんど一人で倒して、その年の選別で死んだのは錆兎一人だけでした。

錆兎以外は全員、鬼を狩らずに隊士になった人ばかりだったんです。

隊員候補者は錆兎の時も20人ぐらいはいたとして、なぜ、錆兎が一人でほとんどの鬼狩をしなくちゃいけなかったのか…

それに関しては、作中には描かれてはいませんが、弱い隊員候補者ばっかりだとしても、炭治郎の時みたいに死者が出ていないのはおかしくないですか?一人も死者が出ていないなんて…


他の子らは錆兎に助けられても、錆兎が手鬼にやられそうな時、助けられたその子たちは一体何をしていたの?と思います。

那田蜘蛛山の累にやられた、通称サイコロステーキ先輩みたいな奴ばっかりだったんじゃ…

助けがあれば、無理しても迷わず助けに行く、そんな正義感が仇となって、手鬼と戦う前の錆兎は、かなりの体力を消耗してしていて、疲弊で呼吸の精度が落ちていたんだと思います。

炭治郎は8人の鬼を倒して、身体が痛くて、支給服すら重く感じるほどの疲労感と言ってました。

さらに、刀の方も一人でほとんどの鬼の首をはねて、刃こぼれしていたから、手鬼の首を切ることができなかったと考えられます。

そんな疲労困ぱいしていた錆兎にも関わらず、
手鬼は「1番強かった」と言っていました。

錆兎は、才能があり、ゆくゆくは柱になりえる有望な剣士だったことは間違いありません。

派手な宍色髪(薄ピンク)で、オーラがあるので、柱の中にいても全く違和感なさそうですね。

炭治郎が鱗滝さんと初めての出会いの御堂で、炭治郎に対して「あぁ…この子は駄目だ。思いやりが強すぎる。」と思ったのは、優しすぎるとまた錆兎のように自分を犠牲にして、また突破できないと感じたからだと思います。

義勇さんの羽織は鱗滝さんが仕立てた

義勇さんの羽織は、片方は鬼から隠してかばって殺された姉の蔦子ツタコさんの羽織で、片方は錆兎の羽織です。

義勇さんは、選別後は悲しすぎて何もできなくなりました。

そんな義勇さんのために、鱗滝さんが、羽織りを繕ってくれたんだと思います。

半身ごとに異なる柄を組み合わせた着物のことを「片身替り」というみたいなので、2人の形見として羽織っています。

鬼舞辻無惨との戦いの後のズタボロな羽織は禰󠄀豆子が修繕してくれたそうで、かなり喜んでもらえたそうです。

なぜ義勇は手鬼にやられなかったのか?

義勇さんも最終選別でキツネの面をつけて挑んでいました。

鱗滝さんのキツネの面をつけてるやつは、全員喰う手鬼。遭遇することなく逃げ切れたのは何故でしょう?


それは…
意図的に面を外していたのではなく…

面をつけることができなくなったからです。 

怪我を負った時に、面が割れてしまい、落ちているところが描かれています。

なので、手鬼は目印が分からず、錆兎以外にも義勇さんがいたことが分からなかったんです。

↑怪我をした義勇さんを預かった少年は、村田さんです。作中で同期だと言っていたのと髪の毛サラサラなので、間違いありません。

錆兎と義勇さんと村田さん


鬼舞辻無惨との戦いでのこのシーンの義勇さん、最終選別の時の錆兎と重なりまんせんか??

ワニ先生、手当役は隠でもよかったはずなのに、ここで村田さんを手当て役として登場させました。 

村田さんは、最終選別の時、錆兎に頼まれて、怪我を負って倒れた義勇さんのことを鬼から7日間も無事に守り抜いておぶって下山してくれました。

義勇さんにとって、村田さんは信頼できる唯一の同期の仲間だったのだと思いました。

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手鬼が藤襲山になぜ放置されたままなのか?の内容も是非読んでください♪

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