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冷たいもの

 私は祖父の死に目に会えなかった。

 祖父との最後の邂逅は、彼が死ぬ一日前のことである。痩せ細った祖父の命を維持するのには、少々大仰にも見える人工呼吸器をつけられた彼のもとに訪れた時だった。蝉の声が嫌にうるさかったのを覚えている。
 彼は私の姿を認めると、祖母にジェスチャーをし(右手の人差し指を動かしただけである)人工呼吸器を外させ、そして私に何かを懸命に伝えようとした。荒い呼吸で、懸命に音を発している。声として認識できる音よりも、口から空気の出される音のほうがはるかに大きい。彼のその痛ましい姿! 私は、一切何を言っているのか聞き取れなかった、一体何を私に伝えたいのかわからなかった。

 今年、そんな祖父の初盆であった。
 私は無職で、暇人ではあるものの、親族との折り合いが悪いため一周忌では父の実家を尋ねなかった。そもそも、彼はお盆の一週間前に亡くなったため、一周忌の分も兼ねてお盆に顔を出せば良いと考えていたのである。(私が無職なことと、親族との折り合いが悪いことには全くの関係はない! むしろ、親族との折り合いを悪くした私の社交性が、私を無職たらしめているのかもしれない)

 田舎では時の流れがない。退廃はあれど、進歩はない。幼少の頃に車窓から見た景色と、いま目にする景色に一切の差がない。まるで私の人生である。目的のない、職のない私の人生は田舎だ。

 田圃道の景色と自らの人生を重ね合わせ、センチメンタルに浸っていると目的地についた。犬が寝ている、長閑な夏の日である。しかし酷暑だ。

 暑いとき、私たちはその暑さに慣れようとするか、冷たいものを求める。前者を選べばバカになり、後者を選べば憂鬱だ。暑さは私たちを考えなしの行為に駆り立てるし、冷たいものは私たちの憂愁を加速させるからである。不安・嫉妬・死、暗い感情や概念は、おしなべて冷たい。
 だから夏に死者が帰ってくる。私たちが、冷たい感情や熱に伴う狂気に支配されないように。
 そのため、祖父に線香をあげたとき、私は私を支配していた暗い感情から解放された。
 ……。
 私の人生は止まっていない、ふと、そう思えた。

 祖母は、記憶の中の彼女の姿よりも痩せ細っており、私に死を連想させる。
 飼い猫は右目が潰されており、私が近づくと外へ姿を消した。
 ……。
 そこは冷たいものに支配されていた……。

 しかし、私の気分は晴れやかであった。そこには確かに生活があった。止まっていると思われた田舎にも、当然だが時の流れがあった。憂鬱に支配された環境下でも祖母は、懸命に生きていたのである。

 生きよう、と思った。私の生はむしろ、目的のない生によって、死へと進歩していた。

 祖父の最期の言葉に関しては、私には皆目見当もつかない。人生を賭けて私に託した言葉は、私には届かなかった。人生とは皮肉だ。最後の最後まで裏切ってくる。それならば、目的を持たず、徒に時を消費した方が人生に対する復讐になるのではないか? 祖父を殺し、私たちを苦しめる人生への最大限の侮辱になるのではないか?

 しかしその復讐を遂げることは私にはできない。職がない私には、時を消費できる保証すらないのだから。

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