世界は窮屈と不平等に支配されている
「障害者手帳を持っていることが羨ましい、困りごとを国に認められている」
そんな言葉が書かれているnoteを読んでモヤモヤしている。
書かれている内容は障害者手帳の話ではなかったはずで、現代の女性誰もが抱えている話だったのだ。
妊娠出産、パートナーを持つことなどが書かれていて、自分はどうだろうかと内面を掘り下げて書かれていたそのnoteに途中から「障害者手帳を持っていることが羨ましい」なんて言葉が出てきて、やるせないのと同時に不快になった。
私は身体障害者手帳を受給している。
慢性疲労症候群ME/CFSが悪化して、歯を磨いたり、体を洗ったりするような簡単な身の回りの自分の世話が難しくなったからだ。手帳を受給したのは30代前半。
慢性疲労症候群を発症したのは20代半ば。
完全に動けなくなってしまう前までは、私だってその後こんなにも動けなくなってしまうなんて知らなかったし、妊娠出産についても考えなかったわけではない。
そのことでパートナーと話をしたり悩んだり泣いたりもした。
こういう経験はすべての女性が共有できる問題ではないだろうか?
子供を持てるんだろうか、そういうパートナーと巡り会えるのか、パートナーがいても子供を持てないかもしれない、子供を持つことは幸せなのか、育てていけるのか……
もちろん障害者手帳を持っている女性だって同じなのだ。障害者手帳を持っていたって妊娠出産可能な方は大勢いる。
手帳を持っているから妊娠出産してはいけないなんて考えは、旧優生保護法と同じ考えなんだって自覚してほしい。
書かれていた方が私と同じ属性の看護師だっていうことがなおさら私をイライラもやもやさせた。
手帳持ちがそんなにいいなら変わってやりたいとさえ思う。全然わかっていないまま病気や障害を持つ人の看護をしてるのはこの方だけではないだろうということもわかっている。Twitterでもその手の「そっち側に行きたくない」とかあまりにも心ない言葉を発する看護師という人はいたし、看護師でなくてもそういう言葉を発する人もいる。
看護師や医療関係者じゃなくても配慮ある言葉を使われる方もたくさんいる。
病気や障害を持つ方々との接することが多い医療職は配慮して当たり前、考えられて当たり前と思っているわけではないが、そうあってほしいと思うのは傲慢だろうか。
どちらにしても「障害者手帳」についてあまりにも知らなすぎるのが一因だとは思う。
障害者手帳は『客観的に審査可能な、文化的で最低限の生活を送る上で明らかに支障がある困りごとについて認定されるもので、そのことに対してしか支援されない』ということが知られていなさすぎる。
支援されないと生きていけない部分を支援してもらうものなんですよ。
妊娠出産で悩んでいても、そのことに対して障害者手帳が取得できるわけではないから、障害者手帳を持っていても、その適齢期に「あなたは結婚妊娠したいですか?子供がほしいならどういうケアが受けられますよ」なんて聞かれることは全く無い。
そういうケアはあってもいいと思うけど。
一般の健康な人たちよりもずっと子供を持ったり、育てたりすることが難しいわけだから。
結婚・妊娠・出産についてその人に自由がある言う部分が蔑ろにされている部分もあるんじゃないかと感じる。
障害者手帳をもっているひとが妊娠出産について考えるな、贅沢だ、なんていうのはやっぱり旧優生思想そのもの以外にないし、そう思った方は自覚が必要だと思う。
無言の圧力の一人になってはいないか。
この無意識で無言の圧力を持つ人がをひとりひとりと増えていけば、抑圧される人や怯える人は増える。
実際に障害を持ちながらも出産子育てをしている人にどんな視線を送っているか考えてみてほしい。
子供を持ちたいと考えるのは自然な事だし、赤の他人が制限していいものではないし、法の下の平等平等に反している。
障害を持って子供を持ちたいが、可能だろうか、どう育てていけるだろうか、というような話し合いは当人やパートナー、支援者で話し合われるものはずだ。
赤の他人に「家族計画はどう考えていますか?」なんて聞いたら、それこそセクハラで訴えられるでしょう?
あなたはそんなこと同僚に言わないですよね?
自分の悩みや困りごとについて、手帳を持っている人が羨ましいなんて言葉が出てくるのは、その方が悩みについてサポートしてもらえない不満や、サポートされている(どこまでサポートされているか知らないが故)支援されている人に対して感じる不平等感や不満だろう。
苦しいときに相談したいのはどんな人もみんな一緒だ。
妊娠出産可能だと思うが悩んでいる・不安だというのは、本人にとっては切実だろうけれど、そこを踏み出して自らサポートを求めてつかむしかない。それも自己決定だから、人が急かしてサポートを受けさせるというのも違う。
障害者手帳を持っている人だって、妊娠出産については切実に悩んでいる人が多い。必要な薬を無理矢理断薬して心身ともに妊娠できる状態でなくなることもあるし、せっかく妊娠しても継続できなくなることだってある。
飲む必要がある薬があるということは、それを断薬することは心身の調子にダイレクトに影響するし、胎児の安全にもダイレクトに影響する。
障害者手帳を持っているということは、普段の生活から支援が必要なわけだから、妊娠出産、子育てとなれば、今以上のサポートが必要なのは明らか。
それでもその可能性を悩み、相談して実際にどうしていくかを選び取らなければいけない。
身近な家族親族に支援してくれる人がいれば少し安心もあるだろうが、それもなかなか難しい。
大変さに家族が崩壊することだってある。
障害者手帳を持っている=子供を持つことは端から考えない、わけではないんですよ。
同じようにね、
親に障害がある場合の結婚・妊娠・出産も困難は多いですが、
親が健康で、障害を持つお子さんが生まれることもあるわけですよね。生まれてすぐわかる障害なら、医療や福祉も受けられて、生きていくことができる可能性は高くなりますが、やはり親の負担は金銭的にも体力的にも、身体的にもかなり厳しい。
また、生まれてすぐにわからないとしても、病気は年齢やなんかところ構わずやってきますし、急な病気や事故などで障害状態になることもあります。
現代で生きていれば交通事故に遭う方も多いし、スポーツ事故だってある。上げれば切りがないほど色々あります。
他にも、ずっとよくわからなかった「なんとなく生き辛い」が実は発達障害があって、生きづらさをカバーするために頑張って頑張って頑張って、日常が破綻してしまうこともあります。
心身ともに健やかに育ち、病気も怪我も障害もなく生涯を終えるなんてことはレアガチャでしかないんですよ。
話がそれてしまいましたが、
できない人とできていることを比べる、
健康で、支援が必要ない人が支援を受けている人を羨む、
生活保護を受けて生活している人をずるいという。
(生活保護は受ける権利があります、権利ですよ!)
こういうのはみんなないものねだりなんですよ。
全く違う人生を生きて、相手の困難や問題も知らずに「なんか助けられてるの羨ましいな」ってなるのは
社会が困っている人を十分にサポートする力を発揮できていないから。社会が未熟なんです。
日本は未熟なまま何十年も過ぎています。
少子化、高齢化を見てもしかり。
人口が他のアジア圏と同じくらいにバク増しなければ少子化は解消されないし、バク増させるだけの未来への希望があるのだろうか?と考えても今の所思いつかない。
希望を作らないと日本は小さな高齢者の国になります。これは今の段階ではほぼ確実です。
そんなでも、
下を見ても上を見ても、自分の人生なんて見当たらないわけだし、誰かと比べても、同じ親から生まれてもないし、家庭環境も経済状態も、友達も成績も、なんなら遺伝子レベルで違う別の誰かと比べるなんて不毛じゃないですか?
自分やその人が「幸せだ」とか「楽しいな」「充実してる」とか思いながら穏やかに、しかもポジティブに生きていこうって考えるほうが建設的じゃないでしょうか?
自分は自分の道を生きましょう٩(*'ω'*)و
比べないのが幸せを感じるための1つの方法です✨
※元記事の書き手さんに攻撃する意図はないです。より困っている人と比べて支援を羨ましがるより、自分でどうしたいか考えて支援や相談先を見つけて、「自分の選択」を掴んで聞けたらなと思います。
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