詩::あそこの煉瓦と珈琲の香り
一体わたしの文章は、誰が読むんだろう。
無名の、生活能力のない、28歳の女が書いた文章なんて、誰が読むのだろう。
文章を、詩を書くたびわたしはそう想いを馳せる。
いまこの文章を読んでいるあなたは、どういう道をたどって、ここにたどり着いたのだろうか。目を閉じて、キャンドルを灯す。
たまたま通りかかった道に、とても興味深い看板があって、建物には蔦が覆っていて、「あ、なんだかここは、いまわたしに必要な場所な気がする」そう感じて、重い扉を開け建物に入る。中に広がっていたのは・・・
いまそんな感覚をもって、或いは野生のような勘をもって行動し、物事を決めることなんて、一体いくつあるだろう。
ほとんどは脳みその難しいことを考える部分を使って日々生きて、なにかを決めるのも、それは評価されるとか、効率がいいからとか、合理的だから、誰からも嫌われない方法だから・・・
そんなことばかりじゃないか。
もしあなたが、蔦の生い茂る重い扉を開けるような気持ちで、この場所にたどり着いてくれているなら、それはとてもうれしいしことだし、その出会いを大切にしたいと思っている。それはもう、ほんとうに、こころから。
写真なんてとらなくていいから、下調べなんてしなくていいから、
あなたの鼻の奥にある感覚を使って、またわたしを見つけてほしい。
きっとわたしも、あなたを見つける。
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