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郵便屋さんの姿をした神様

あれは、私がまだ大学生だった頃のこと。

大学生といっても、あれやこれやすったもんだなんとか完成させた卒論を無事提出し、春からは大学院に進学することが決まっていた。

いよいよ卒業を間近に控え、「悠長な大学生活にじきにピリオドを打たねばならない」という事実に打ちひしがれる人々が大学周辺で発するため息は色濃く、どことなくセンチメンタルな空気が漂う時期ではあった。

私はというと。ゼミの友人から紹介してもらった高時給の棚卸バイト(夜な夜なチームで各種店舗に出かけて商品の数を数えに数えて数えたおすバイト)に精を出し、とにかく友人たちとの思い出作りのための資金繰りに必死になっていた遅い冬の日。

大学時代の親友Nとは、バリ島への旅行を計画していた。

Nは大きな瞳と長いまつげ、誰もが吸い込まれるような人懐こい笑顔がはじける美しい人。

それでいてNはしっかり者で、自分の考えをはっきり言えるし、金銭管理もお手の物。私のように必死で旅行資金を調達する必要もなさそうであった。

彼女とは、入学前の新歓コンパで出会い、それからサークル、ボランティア活動、アルバイトと大学生活の4年間のほとんどといってもよいくらい、数々の時間と場を共有してきた同志でもあった。

ちゃらんぽらんで、ルーズな私となぜ気が合ったのかは分からない。

私がどのくらい真性のちゃらんぽらんだったかというと、朝起きるのが苦手で遅刻常習犯(事例の枚挙にいとまがなさ過ぎて割愛)、アルバイトの面接で履歴書に写真を貼り忘れたまま先方に伺う(直接顔を見てもらうのだから良いのでは?という謎の理解があった)、寝ている間に1Kの部屋がミストサウナになりやかんの底が抜ける(ただの不注意)、海外旅行に出発する空港でパスポート忘れに気づく(「もっとよく探してごらん」という友人に「いや、そもそも入れてきてない・泣」その時は、はなからパスポートを持参するという概念が吹き飛んでいたのである)などなど。

振り返ってみて、つくづく思うが本当にひどい。心からどいひーである。しかも、掘ればまだまだ出てくるエピソード。タイピングしながら嫌気がさし、いったん思考を止めた。

そんな私のおっぺけぺーなところも、包み込むNの愛の大きさ。

私が生まれて初めてナスを美味しいと思ったのはNが作ってくれたナスミートのおかげ。ストレートな愛情表現に乏しい家庭で育った私にとって、スキンシップ上手なNは、人との距離を縮めるコミュニケーションにおいても新鮮な刺激をくれ、やがて私のお手本となった。

そんなNと2人でバリ島である。近づく別れ(私は地元に帰る。Nは一般企業への就職が決まっていた)を意識しながらも、新しい思い出を作れることは喜びだった。

出発の前夜、心が躍りすぎてはいたが、パスポートだけは再確認し眠りについた。しかし、私がNとの集合時間に間に合う起床時間になっても目覚めることはなかった。大事な時こそ、起きられないのが私。

刻一刻とタイムリミットのデッドラインは近づく。針はジリジリとその線を越えていこうとしている。

その時、部屋に鳴り響く「ピンポーン」・・・

はたと目覚めた私。「ガチャ。・・・はい」・・・ドアの外には郵便屋さんが書留らしきものを手に『木村さんですか?』とたたずんでいる。

「いえ、違います」・・・(そう、本当に私は木村さんではなかった)

『そうですか、失礼しました』

「・・・いえいえ・・・(はっ!)」ようやく自分が置かれている状況に気づき音速(光速ではないところが私)で身支度を整え、駆け出す私。こうして無事に日本から旅立つことができた。

おっぺけでちゃらんぽらんな私はどこまでいってもおっぺけでちゃらんぽらんなままだった。

それにしても、あの時の郵便屋さんは神様だったのではないか。木村さんではない私のところに訪れた神様。

あれから10年以上の時が流れ、ちゃらんぽらん具合もおっぺけ具合も、少しずつなりをひそめてきた感がある。がしかし、それは、たまに私の前に現れる神様のアシストがあってこそなのだ。あの時の神様は、たしかに郵便屋さんの姿をしていた。

いやしかし。そろそろ自分の中に神様を備えておかねばならない年頃になってきた。そんなことを思う私の元に、まだ神様は腰を下ろしてくれそうにないのである。

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