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トンネルの向こう側

通勤途中に、ひとつのトンネルがある。
海沿いの町の、山際にあるトンネルだ。

トンネルという建造物は、どこのどれも似ているようで、いやしかし、どれひとつとっても同じものは無いと思う。

山のトンネル、海の近くのトンネル、明るいトンネル、暗いトンネル、曲がるトンネル、真っ直ぐなトンネル、おどろおどろしいトンネル、無機質なトンネル。

地形や標高の違いから、カーブやアップダウンの差はもとより、施工方法や照明の配置・カラーもこれまた千差万別なのは当然だ。

そのトンネルは、暗くて長くて真っ直ぐな、どちらかというと愚直で男前な部類に入る。
時々出会うジメジメ系のトンネルには、なんだかいけすかない感情を抱いてしまうこともあるが、私はこの愚直なトンネルにはなぜだか好感が持てる。

ふとした時、この愚直氏をくぐり抜ける時に、いつも【ふぉー!】という小さな高揚感が湧き、【世界は素晴らしい】という無条件の、そして悲哀を伴った肯定感がもたらされることに気づいた。
しかし、さすがに運転中の自分でも『何が?』と呆れるしかなかった。

愚直氏のなにが私を【ふぉー!】たらしめ、私の中の【世界は素晴らしい】感を呼び覚ましているのか。

まず、【ふぉー!】がやってくるのはいつも、トンネルの中間部分を過ぎるころ。
無意識に、ルームミラーで後方をのぞいていることに気がついた。
ルームミラーごしに、入り口をチラリと確認している。
そこには来し方(入口)の、青々と茂る緑が写っている。
それとほぼ同時に、私の視線は運転中もれなく確認すべきフロント方面にもしっかり注がれ、そこには行く方(出口)に見えるこれまた瑞々しい竹林の緑。

愚直な彼の内面がうす暗ければうす暗いほど、外の世界の眩しさが際立つ。
そしてある地点でルームミラーで確認する後方と、フロントガラス越しの前方の、両端のカマボコ状(出入り口の半円形のカーブ)のサイズがぴったり同じくらいになる。
そのどちらにもまぶしい緑色。
【ふぉー!】はこの時にまさにやってくる。
これは重要な気づきである。

そしてトンネルをいよいよ抜け出て視界に広がる竹林の緑を感じるとき、世界の素晴らしさ、らしきものを確信する。
どんなに忙しくても、どんなに落ち込んでいても、それは毎回等しく訪れる。
晴れの日はもちろんのこと、雨降りの日でさえも。

しばらく思案し、私がたどり着いたのは、トンネルをくぐりぬけることによって象徴的に【誕生】を想起するからではなかろうか、ということだ。
私が生まれるとき、来し方と行く方を感じ、きっと高揚感に包まれたように。
初めて世界にさらされたとき、生まれてきた悲哀と、一切のものを頼りきる信頼感をもたらしたもの。
自然の力を感じさせる緑。
そして命の息吹、光を際立たせるのは、やはり暗闇なのだった。
ただのトンネルからかなり飛躍するが、そういうことでいったん腑に落ちた。

きっと母も頑張ったが、私も頑張ったのだなと思う。
うむ、自分よ、ほめてつかわそう、という、自分に対する上から目線。
THEポジティブ。
そうしてまた、あの【ふぉー!】を感じるべく、せっせとハンドルを握る私なのであった。

【お気に入りのトンネルを見つけた人におすすめの一曲】
椎名林檎×椎名純平/この世の限り


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