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私の中のエミリア

今日は映画評を先に

ストーリーが少し複雑です。
~あらすじ~
主人公のエミリア(ナタリーポートマン)は若手弁護士で、同じ職場の妻子持ちの上司と不倫関係に陥り、子供を妊娠して略奪婚します。
しかし女の子を出産した三日後SIDS(乳幼児突然死症候群)で赤ちゃんをなくしてしまいます。
悲しみから立ち直れないエミリアですがそんな中でも、残された7歳の継子と家族関係を築かねばなりません。愛情を示そうとしますが継子はエミリアが気に入らず、わざと赤ちゃんの話題を振る等してエミリアを逆上させ、温かい家族関係を築くのがより困難に、、


日本版ポスターで知って映画を見た人はギョッとするくらい暗い話です。
ちなみに本国アメリカで上映してたポスターはこちら

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全然雰囲気が違う
日本版ポスターだけで判断したらかもめ食堂とか、ほのぼのコメディ枠と思いかねません。
それでも略奪婚やSIDSなど複雑な題材の本作を日本に配給してくれたのだからありがたいです。

この映画をみてまず感じたのは
愛を示せない人に大変厳しい作品だと思いました。

まず初めは主人公の気持ちに寄り添うのが難しいです。
美人で優秀ゆえに高飛車で傲慢
そして略奪婚して一つの家庭を壊しているので
なんだこの女は がすごい。

もちろん主人公は最初から性根が悪いわけではなく
現況のつらみを乗り越えようと努力をしている。
しかし裏切られたり、傷つけられたことがシコりのように大きくなってしまっていて、それが愛情を示すことを阻んでいる。

これまで傷つけてきた人たちが許せない。
しかし許せない気持ちが大きくなるほど
同じことをしている自分も許せない。

度々言葉に出てくる「私は悪くない」という被害者ヅラは
あまりに幼稚で、鬱々とした彼女の態度が腹立たしくなってくるのですが

それでも話が進むにつれ彼女を糾弾出来なくなっていました。
なぜなら、私の中にもエミリアがいたからです。



同じマンションに住んでるママ友は略奪婚でした。
遊びに行ったママ友のお家は
前妻と購入したお家で
継子と前妻は家を出て行き、
そこに社内不倫でできた子と旦那さんと三人で暮らしていると
教えてくれました。

話を打ち明けてくれた時
"不潔"と感じてしまい、
それ以降連絡を取るのをやめてしまいました。

今はそのことをとても後悔しています。
当事者である彼女こそ
一番悩み苦しんでいたというのに
なぜ私は手を差し伸べられなかったのだろうかと

彼女を心のどこかで羨んでいたから
許せないという感情が湧いていたのです。
私の中にもエミリアのような身勝手さを抱えていました。

新約聖書、ルカの福音書による罪の女に向けた一章では
イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と法律学者と民衆を諭しました。
すると年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができませんでした。
この一章における教義は
人を裁く権利や資格をもつ者はいない ということで
この世界には罪を犯したことのないものは一人もなく、
自分の正しさを根拠に人を裁く権利や資格をもつ者は、誰もいないことを明らかにしています。

私は長い間、被害者意識が強く
誰かを正論で裁くことばかりしていました。
そんな自分の中のエミリアを見つけた時
周りと軋轢を生む彼女のシーン一つ一つが
過去自分が経験した辛かった出来事と重なり
終盤で夫のジャックがエミリアに対し
「君は愛する者に厳しい」
という指摘をされた時は
一緒にガーンと言葉を失いました。

愛情を注ぐということは難しい
日々感じています。

心には空っぽのコップがあって
誰かにたくさん注がれて溢れたものを
やっと誰かに注げるのが愛情なのかなと
そうなると私のコップは穴ぼこだらけで
注がれてもどこかで漏れ出てうまく注げずにいます。

映画の最後は、継子のウィリアムとやっと心を通わせることができて終わります。
誰かを傷つけ 傷つけられたエミリアだけど、自分のつらみと向き合い
愛情を築こうと前向きになる姿にホッとします。

初めから終わりまで脚本が優れていて、めっちゃいい映画なのですが
正直勧めることを躊躇する苦い薬のような映画です。
ではなぜこの作品を紹介したのかというと
自分のコンプレックスに響くものだったからだと思います。

このブログは積極的に自分の闇を開示していく滝行です。
今日は書き出すのに3時間以上かけてしまいました。
でも書き出せてよかった。
この批評で引っかかる人がいれば、是非一回観てみてください。

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