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障がい者になったことで気づいたこともある

 精神障がい者になってよかったと思うことはほとんど無い。残念だけどこれが正直な気持ちである。よかったことがあったとしても嫌なことのほうが多いのでプラスマイナスでいえば良くても四分六分である。少なくとも五分五分は無いというのが実感である。

 でもこれはもしかしたら歳を重ねていけば変わってくるのかもしれない。価値観は年齢と共にかわるだろうし、成長もあれば退化だってあるだろう。

 でも気づかされたことを感謝していることはある。それはどんなことかというと、自分の内面のことだったり、外側のことだったりする。

 そのなかでも一番感じることが自分のいままでの至らなさを知ったということである。わたしの場合で言うと、傲慢で思いやりがなかったなというのが挙げられる。次はひとの助けが必要になることが増えたので他者からの優しさに敏感になれたということがある。

 え、おまえ傲慢だったの?それで思いやりもなかっただなんて駄目じゃんという声が聞こえてきそうだけど、おっしゃる通り、お恥ずかしい限りと答えるしかない。だけど言わせてもらえばこの世の中は無意識に傲慢という人が殆どだと思う。殆どの人が無意識で傲慢で無意識に思いやりがない。それは障がい者になったことでよく感じるようになった。

 口では綺麗なことを言ってきたけど結局わたしも傲慢だったなと思う一番の理由がやたらと自己責任自己責任、努力しろ努力しろと言ってきたことである。

 この考え方が全て間違いだとは思っていない。でも障がい者になって努力だけではどうにもならないことがあると知った。努力せずに遊び惚けてきたから生活保護になったわけではない人が沢山いるということにも改めて気づかされた。

 努力だけではどうにもならない問題もたくさんある。そう言った事情も知ろうとせず考えようともせずにこういうことを平気で言っていた自分をいまでは恥じている。

 人からやさしくされることに敏感になったなと思う。以前はやさしくされても気づかない、気づこうとしない何故ならそうされることが当たり前というような気持ちでいたことが多かったと思う。

 障がい者になって不自由することが増えたし体調が万全ではないことも増えた。日常で誰かの手助けを貸してほしいと思った時に助けてくれるひとがいる、ということに本当に感謝できるようになった。それはいまの職場のみなさんがなにかと見守ってくださって助けてくれるということもあるし、家族に対してでもある。

 人からしてもらったことをまた誰かにしてあげれるようになりたいし、そう心掛けて生きている。とにかくわたしは助けてもらうだけではなく助けられる人間になりたい。それだけは忘れないようにしたい。


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