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躁のときに傷つけた友達の夢をみるのがしんどい

 躁のときに傷つけた友人がいる。そのことがどうしても忘れられなくていまでも彼女達の夢をみることがある。夢の中でわたしは彼女達に泣きながら謝っている。

 しんどいなぁと思う。忘れられたらいいのにと思ったりもしつつも、でも忘れちゃ駄目だと思う。

 友達の彼氏を奪ったことがあった。別にその彼のことが好きでたまらないというわけではなかった。ただその子と彼が仲良くしているのを見て、またその彼がとても評判がよかったからどうしても自分のものにしたくなった。そんなくだらない理由だった。

 彼女はわたしを責めなかった。優希はそんなことをする人じゃないって信じてるからとわたしに言った。そんな彼女にわたしは、違う!わたしが彼を誘惑したんだよ!と逆ギレした挙句に彼女との関係を絶ってしまった。なんで逆ギレなんてしたのだろう。アンタはなんでそんなにお人好しなんだよっていう気持ちになったのかもしれない。クズだな。最低すぎる。

 急にイライラして散々に罵ってしまったあげく関係を絶ってしまった友人がいた。彼女はとてもまともな子だった。わたしにも優しかった。貶すような筋合いは全くなく、ただイチャモンをつけたかっただけなんだと思う。彼女の人気に嫉妬したりそのせいでイライラしていた。ある日急にイライラが激しい怒りになって話の本筋とは全く関係ないことで散々きつい言葉で馬鹿にし倒した。何ていうか本当に最低すぎる。

 写真が趣味の子がいた。趣味というかプロになりたかったみたいで結構本気で取り組んでいた。そんな彼女の作品を散々馬鹿にした。彼女のサークルの発表会の会場で、彼女の作品の前で周りに聞えよがしに批判した。あなたに魅力がないから写真もつまらないんだよみたいなことを散々言った。一体何様だったんだろう、ホンマタカシや篠山紀信にでもなった気でいたんだろうなきっと。そして写真を撮るという才能に、しっかりとした夢がある彼女に憧れて妬んてイライラしたんだろう。最低すぎるって言うのも嫌になる。

 こうして書き連ねてみるとわたしってトンデモナイ女だなと思う。本当は他にもあるんだけれどそれらとはまだきちんと向き合えていないから外に出すことができない。

 なんでそんなことをしたんだろうと思う。医者が言うようにそれは躁転のせいなんだろう。でも自分でも分からない。

 でもなにをしたのかは鮮明に憶えている。彼女達とその後どうなったかも憶えているし、彼女達とだけではなくわたしと彼女達をとりまく人たちとの関係も損ねてしまった。

 鬱のときに彼女達のことを思い出すだすととてもしんどい。ひどい事をした自覚はあるし、昨日のことは全然おぼえていないと言い訳する酔っぱらいとは違って自分が言ったこともやったことも全部憶えている。申し訳ない気持ちになるしひどい事をしたという自責の念だってある。自分自身にたいする情けない恥ずかしい思いや罪の意識も大きい。こういう感情がたまに一気にドスンとやってくる。

 でもこんなことをしたのか本当に双極性障害のせいなのか不安になることがある。とくに友人の彼氏を略奪した件。もしかしたら病気とは関係なくてただ単にわたしが男好きだからこんなことをやってしまったのかもしれない。あとのふたつにしてもわたしはただの嫌な奴なのかもしれない。そうだとしたらもっと最悪。あと少しでサイコパスみたいなもんだよ。ああ死にたい。

 「ごめんなさい。あなたにあんなことをしてしまったのは双極性障害という病気のせいで、仕方がないことだったの。わたしも悪かったけど、理解してほしい」なんて言えるほどわたしは厚かましくないし、相手からすれば自分がされたことが病気のせいだろうとなんだろうと知ったこっちゃないと思う。わたしならそう思う。

 もう彼女達と二度と会うことはないんだろうなと思う。彼女たちはいまでもわたしのことを憶えているのだろうか。忘れてるだろうな。いわれたら思い出すかもしれないけれど。

 それともいまでもわたしのことを憐れなやつだって軽蔑しているのだろうか。“さいとうゆうきはクズで下衆い最低の女”としていつまで彼女たちの心の中で生き続けなければならないのか。ダーツの的にわたしの汚い似顔絵を貼られてたりして。わたしのことなんか忘れてくれたらいいのに。

 あと30年もすれば彼女達から許してもらえるのだろうか。でももう二度と会えないのなら彼女達とは和解も赦しもない。そう思うと救われない。


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