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霧氷の赤城山は穏やかに迎えてくれた

標高1,350mの駐車場に停めた狭い車内で準備を進める。
車の気温計はマイナス11℃
ここまでの道のりは広く整備された道路であるが、そのほとんどが凍結と積雪で白く覆われていた。標高を上げるその道は終始上り坂である。
比較的雪道には慣れているつもりであるが、地元の車には敵わないわけで、追いつかれたら道を譲る他ない。ただ譲るにしても停止するわけにはいかない。この斜度の坂で一旦止まってしまうと、冬用タイヤとはいえFFなので、滑ってしまい発進できなくなる可能性がある。
雪山に行く身なので常にチェーンを積載しているから撒けば良いのだが、使わずに済めば越したことはない。
暖かい車中にあって、冷や汗を隠し平静を装いながら運転を続け、何度も来た駐車場へ辿り着く。装備を整えていればこそ、これもまた楽しからずや、である。

準備を済ませ車外に出ると気温ほど寒さを感じないものである。ただ、この段階で少し寒いくらいにしておかないと、歩き始めてすぐ脱ぐ羽目になる。ここで汗をかくわけにはいかないのだ。
冬の山こそウェアの費用対効果が本領発揮する場面であろう。
頑張ってくれと一念して歩き始めると、寒さは穏やかになっていく。


大沼 ワカサギの氷穴釣り

ここは標高も難易度もさほど高いわけではないが、その分人が集まりやすい。
ただ、気象的には強風を受けやすいエリアで、そうなると一気に難易度が増してくる。油断すると痛い目に遭うので、現地でも天候の行方を常に意識している。
もちろん歩く事そのものへの注意や周囲の絶景、冷たい空気や自然が奏でる音や青空に浮かぶ雲の流れにも意識を向ける。それらリスクもストレスも感動もまとめて全てを楽しむ。

今のところ晴天に恵まれ風も穏やかである。ただし午後は雲がでて風も強くなってくると思われるので早めにまわろう。

白銀の森と紺碧の空が目に眩しい

見渡せば周りは白銀の世界である。見上げれば紺碧の空が広がっている。
今シーズン行った山は全て雪が少なかったが、ここもやはり雪は少なめのようだ。
葉が落ち、代わりに霧氷の花を咲かせた木々のなか斜面を登っていく。
引き締まった空気感、静寂さ、静かなる銀の世界に包まれ、心の中が外気と同化し透き通るように無になっていく。反面全身で受け取る情報を脳が凄まじい速度で処理しているのも感じる。風の強弱、光の明暗、肌に感じる暖かさ、周りの風景の変化、自然の微かな囁き。すべてが心地よくまた緊張をも生む。
山の瞑想である。

雪と青空のコントラストが目に眩しい。
登る先を見上げると白い一本の道が群青の空に向かっている。
一瞬足を止めサングラスをずらして見る。眩むほどのまぶしさの先に別の世界が、パラレルワールドが広がっているかのようだ。心は弾む。
眼下には大沼が見渡せ、人々が小さな黒い点になって白い氷の上に集まっている。
ワカサギの氷穴釣りである。

祠で感謝

駒ヶ岳との稜線に出るとそばに御黒檜大神の祠がある。感謝のお参りをし、振り返ると遠方に富士山が顔を出していた。
稜線伝いに残りの標高を上げる。先ほどまでの少ない雪が嵩を増してくる。
この時間まだ踏み跡は少なく、しばしば膝上まで潜るようになってきた。
山頂は目前だ。斜度が緩やかになってきた雪深い稜線を山頂へ向かう。

赤城山山頂

山頂からほど近い先に展望所がありパノラマを堪能できる。
美しい風景を前にすると、言葉を失い、いつまでもとどまり景色を堪能していたくなる。
「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」
ため息の出るような、この素晴らしい白銀の世界を目に焼き付けながら、心が洗われていくのを感じる。再び汚れたらまたここに来よう。

心が洗われていく

本来ならばこの先の斜面を降り小黒檜山に向かう予定であったが、登っている最中に所用ができてしまい、残念だが早めに帰路に着くことになった。早々に来た道を引き返す。
降る際には多くの人とすれ違った。この絶景が比較的容易に堪能できるのだから人気なはずである。

どこから来たのか。どこへ行くのか

山から眺めた大沼に寄ってみた。
沼面は結氷しその上に雪が積もっている。
氷の上には南極観測隊のように着込んだ人々がワカサギ釣りに興じている。それを横目に沼の上を歩いていく。不思議な気分だ。
氷はかなり厚いのであろう、足裏に伝わる感触に不安は全く感じない。
踏み跡のない沼を何処へともなく歩き、ふと振り返ると歩んできた自分達だけの道がただ残っていた。多くの踏み跡にかき消されることもなく。
何者なのか。どこから来、どこへ向かうのか。

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