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【映画感想】フェラーリ/情熱と、狂気に共感できるか?

 あの誰もが知っているスーパーカー「フェラーリ」
創始者のエンツォ・フェラーリの実話と言うことで気になり観にいってきました!


・ネタバレなしストーリー


 エンツォ・フェラーリは妻とフェラーリを創業、息子を病気で亡くし、経営が厳しくなる中、不倫しもう一つ家族を持って子供もいると言う状況から、再起を目指してレースでの優勝を目指す物語。

・感想


 まず大きな感想ですが、誰にもひとつも共感できない!!!笑
あ、非難ではありません。悪しからず。。。
エンツォを中心とした物語なので彼に関わる人が沢山出てくるんですね。
大きくは、妻・不倫相手(その子供)・母親・会社の仲間・レーサーなど。
その一人ひとりのエンツォに対する想いや感情はストーリーが進む中で表現されていたと思います。
もちろんエンツォ自身の感情も。
実話とのことで、どこまでエンタメ要素があったか分からないのですが、結構エンツォは欲にだらしないなって思う決断が多いんですよね。
さも、どうにもならない状況に追い込まれているような顔をエンツォがしているのですが、お前が選んだことやろ!とツッコミたくなる。
これはわたしが女性だからかもですが笑

 でも、だからこそ、そのエンツォが選んできた結果として出た犠牲と偉業には全く共感できない。


 ただただ強く感じたのは、登場人物たちの「倫理観のズレ」
確かにこれくらい倫理観から外れないと、偉業は達成できないのかな?とも思いました。
まあ、経営者とかってそう言うとこあるよな、とも笑
ただ、そもそも、その倫理観から外れて得た偉業は偉業と言うのか?
犠牲がないと信念は達成出来ないことは確かだと思いますが、その犠牲に倫理観は本当に必要ないのか?
そういうことを強く考えさせられました。


・なぜ「共感」が大事なのか


 個人的には、創始者やアーティストなどの葛藤と栄光(没落も)を描いた映画は大好きです!
フェラーリは実話とのことなので、再現に注力すれば共感性はなくても良いのかもしれませんね。

 映画としては、どうなんだろう?
マイケル・マン監督がエンツォ・フェラーリを描くことで伝えたかったことはなんだったのか。。。
彼らに共感できない、ということから、犠牲と偉業の倫理観について考えることになっていればそれでいいのかな。

 観ている側が登場人物たちを好きになれないまま栄光を掴み取る構図がわたしには少しきつかった。
「情熱と、狂気」とコピーを銘打っているくらいなので、情熱がもっと描かれていれば少しは共感があったのかもしれません。

 なんで映画を観るのか?
と言う究極だと思うのですが、映画って、登場人物たちに感情移入する中で最終的に伝えたいことをキャッチするものだと思うんです。
そのプロセスとしてストーリーがあって、ドキドキワクワクしたり、主人公たちと喜んだり悲しんだり焦ったりする。
ここに、観客がうまくハマれないとその映画が本当に伝えたかったことに巡り会えないのかもしれません。

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