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「子供を産むか、産まないか」恋人との別れをきっかけに、改めて自分のキャリアに向き合い出せた答え

昨年、私は丸3年付き合った彼とお別れした。
20代後半、なかなかの痛手である。(笑)
これを機に、長年見て見ぬふりをしてきた大きな一つの問いに向き合うことを決めた。

「子供を産むか、産まないか」

高校生の頃から、将来子供を持つ選択をするのか悩んでいた。
それは残念ながら社会人になっても自然と消えることはなく
同級生が結婚し、子供を産んでママになっても
どこか他人事、自分も同じ立場になる日が来るとはどうしても思えなかった。

世間から見ると、子供を育てたいと素直に思えない自分の方が圧倒的に異分子で
「産んだら可愛くなるよ」
「考えすぎだよ」
と何度も言われた。
その度に、そう思えたらどんなに楽だっただろうと心の中で思った。

私にとって子供を持つ自分になることは
30人のベンチャー企業に飛び込むよりも
ハードルが高かった。

そう思うようになった原因は
なんとなく家族なんだろうな、とは思っていた。
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私の母は18歳で就職し、職場で父と出会った。
20代後半で私を出産したが、生後11ヶ月で私を保育園に預け、職場に復帰した。

母が残業して家に帰るたびに
父は「家族よりも仕事の方が大事なんだろう」と嘆き、
次第に食器や物が飛び、母が泣く。
そんなことが日常になっていた。

父と母が喧嘩するたびに、いつか母が爆発して
「子供を産まなければ自由に仕事をし続けられたのに」と言われるんじゃないか。
私と父を捨て、仕事を選ぶんじゃないか。
でも、その方が母は幸せなんじゃないか。
私を産まなければ、母はもっと自由に
仕事を
人生を楽しめたんじゃないだろうか。

そんな現実が来るのが怖くで
喧嘩のたびに仲裁をし、母がこれ以上辛い思いをしなくていいように庇っていた。
当時は本当に必死だった。抜毛症にもなった。

だから自分が子供を産んだら、
(母がどう思っていたかはわからないが)自分の子供に対して
「産まなければもっと自由でいられたのに」と思ってしまうことが怖くて
そう思いながら過ごすのが子供にとって苦しいことだとわかっていたからこそ
どうしても自分の人生で、子供を持つことが考えられなかった。

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だから、これまで彼氏になってくれた人に
必ず「仕事を頑張りたい」と伝えてきた。そして彼から「子育ても一緒にしよう」と言われても、
(自分から聞いておいてひどい話だけど)
心の底ではその言葉を全く信じていなかったのである。

いくら言葉で仕事を頑張っている自分を肯定してくれても
いざ子供を産んだら、家族のために尽くさない自分を罵るのではないかと怖かった。

ここまで家庭から受けていた影響を棚卸したとき
また行き詰まった。
母の影響を受けた私は、やっぱり子供を持つと
母のようになってしまうんじゃないかという考えから抜け出せなかった。

ここからは、人の手を借りて前に進むしかない。

自分の過去を棚卸してもなお解決策に悩むのは
自分の考えの中のループにハマってしまっている証拠である。

このループ状態で何度考えても時間の無駄。
人生は有限であり悩んでいるうちに歳をとっていく。
悩んで答えを出してこなかった責任を取るのは未来の自分である。
どうせ責任を取るなら、悔いなく行動しきろう。
そう思い、メンター選びにはかなりこだわった。

こだわりと主張が強い私は、相談するうちにメンターを納得させてしまい
新しい結論に辿り着かないのが悩みだった。
・私の意思を汲みながらも主張に左右されないこと
・言うべきことを忖度なく伝えてくれること
それがメンターの条件だったので、何度か相談する人を変えた。

そんな風にしてやっと出会えたメンターの方から
3回目のセッションでもらった
「仕事のように、家庭も楽しんでみようと思えばいいんじゃないですか」
という言葉。
この言葉が大きく考えを変えてくれた。

私のこれまでの仕事は
・新設部署の統括
・支店の立ち上げ
・新規領域での事業立ち上げ
と、こんな仕事ばかりだったので、
アクシデントが起こってからが仕事の本番。
仕事の価値は相手の感じ方次第だし、不確実性を受け入れながら
「大変」を楽しんできた。

だから仕事のように、家庭も楽しんでいいのだとしたら
子供がいる生活の不確実性を、自分は楽しめるのかもしれない。
これは驚くほどスッと自分の中に落ちた。

これまで、子供を産むか産まないかについて
いろんなネット記事やnoteを見たけど、記事の最後の結論は
どれも自分の答えとしてしっくりこなかった。

やはり答えは、自分の人生にあった。

何かをやりたい、と思う気持ちは尊い。
誰にも邪魔されてはいけない感情だと思う。

だからこそ、私はお互いのために我慢しあって関係を維持するのではなく
やりたいという気持ちを応援しあえる家族を築きたい。
それができるなら、子供を持つという選択も自分の人生の形としてしっくりきた。
(あと、誰かのやりたいを心から応援できる今の仕事は天職なのかもと再認識した笑)

今、もしこの記事を読んでいるあなたが
自分のキャリアの選択に悩んでいるのであれば
子供を産むのも、産まないのも、
究極どんな答えになってもいいんだと思う。

でも、そこには自分なりのロジックと答えを持つことが大事だ。
でないと自分の人生の答えとしての本当の納得感は得られない。やはり、誰かの答えは自分の答えにはならないのである。

今回この答えに辿り着いたのも、
自分が仕事で発揮していた長所の把握と、
家庭環境への客観的理解という自己分析の土台
そして、メンターからの視点を変える一言があったからこそ辿り着けた。

結論は同じでも、結論を出したプロセスに自分が納得するかで人生の満足度は変わる。
だからこそ、人それぞれの納得する理由探しの旅を支援し続けたいと思う今日この頃。

この記事を読んで、私もループにハマっているかも!!という方は、
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(追記:仕事を今でも現役で続ける母のことは大好きだし
私が仕事を好きでいたいという気持ちを持ち続けられるのも母のおかげだと思う。母は偉大だ。母が幸せでいることが子供の幸せだと思うので、
悩んでいるお母様方からの相談も、お待ちしています。)

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