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しつこい怒りが消えた瞬間【共感者講座 感想】

共感者講座はおもしろい。
唐突に何を、と思われるだろうが、言いたくなったのだから仕方ない。

※共感者講座とは、日本エンパシー協会で提供されている講座です。
気になった方は公式サイトをご覧ください。

先日、中級編の第1講を受講した。
この講座は、知識をつめこむことを重視しない。
1回に学ぶ知識の量は決してそれほど多くない。
でも、学ぶことで、確実に心が変わる。
心のうちにずっとあったものに、気づくことのできる自分に変わる。

そんな感動を共有したくて、ここ数日のわたしの話を綴ることにした。

***
最近のわたしは、しつこく湧き上がるイライラにほとほと手を焼いていた。
イライラの相手は、2歳になったばかりの息子。
言葉は遅いけれど自己主張のはっきりした彼は、はじめての言葉として「やだ」を習得。ここに、Noしか言わない日本人が爆誕した。

着替えもオムツ替えも歯磨きも、やだ。
ちょっとでも何かを強いられる雰囲気があったら、やだ。

わたしの日常は、彼の感情とタイミングにできるだけ寄り添いながらも、日々のルーティンを進めていかなければならないところに、なんともいえない難しさがある。

夕食のときだった。
カボチャ以外の野菜は好きじゃない息子だけれど、それまではだましだまし食べさせることができていた。
それがついに、全面拒否。
スプーンですくった汁物の中に、小さなブロッコリーや玉ねぎの欠片が浮かんでいたら、決して口を開かず、首を横に振る。
何度かチャレンジするも、彼の意思は固い。

わたしの中で、白い煙のようなイライラがくすぶりはじめた。
これはよくない、といったん距離を取って気持ちを落ち着ける。
息子はお茶の入ったコップを手に、機嫌よく遊んでいる。
少しこぼれているけれど、まぁ大丈夫。

近づいてみたら、床には水たまり。パジャマのズボンまで濡れていて、イライラの炎は大きくなる。ズボンを履き替えさせるのだって、一筋縄にはいかないのだ。あたりを拭きながら「べちゃんこやん」と心底不機嫌そうな声が出た。

その後もわたしのイライラは鎮火せず、なんとか不機嫌な態度を抑えながら、彼の着替えと歯磨きをすませ、せがまれるままに絵本を読んで、寝室へ連れて行った。

暗い寝室で、ベッドに横になる前のひととき。怒りすぎちゃってごめんな、と声をかけると、ほかの呼びかけと同じように「う」と食い気味に返事がきた。

息子が眠りに落ちるのを待ちながら、悶々と考えた。
どうしてこんなにイライラするのだろう。
野菜を食べないことも、お茶で遊ぶことも、言うことを聞かないことも、2歳ならば当たり前。
叱るほどのことでもないから、さらっと流したい、と頭では考えている。
それなのに、振り回されるぐらい大きな怒りが湧いてくる。
落ち着こうとする理性をはねのけて、彼に気持ちをぶつけたくなる。
とはいえ、それは彼の安心を奪う行動だと思うから、あとからものすごく落ち込む。

「自分の母と同じじゃないか」
母親との関係のなかで、望む安心を得られなかった自分の痛みが重なる。
息子には安心して、どんな感情も感じて表現してもらいたい。
それは、安心感を欠いて育ったわたしの願い。


翌日の共感者講座で、この話をした。
怒りの感情のことも過去のことも、促してもらうがままにたくさん話した。
講師のかたから「自分と息子さんの安心を大切にしているのが伝わってきました」という言葉をかけてもらった。
感情を受け止めてもらって、随分すっきりした気分にはなったけれど、イライラを解決するための糸口はみつからないままだった。

その夜、ふとした拍子に講師のかたの言葉を思い出した。
わたしにとって安心感はすごく大切なんだよなぁ、とかみしめた。最近すっかり忘れていたから。

講座のなかで、「感情は心からの懸命な合図」だと教わった。怒りが湧くのは、わたしの大切にしている何かが満たされていないということ。
もしかして、わたしがイライラするのは安心感がおびやかされているから、なのだろうか。

同じく講座のなかで「大切にしている価値観の奥には、それに紐づく信念・思い込みがある」ということも教わった。そしてその思い込みは、これまでの経験を反映してつくられている、ということも。

安心感についての信念って何かあるかなーー考えはじめてすぐに、ひとつの文章が頭をよぎった。
「完璧じゃなければ、安心してはいけない」
たしかめるように、頭のなかで何度か反芻してみた。
……これだ、わたしの思い込み。

だから、イライラしたんだ。
息子が野菜を食べないことに。お茶で遊ぶことに。
完璧でなければ、わたしの安心がおびやかされると無意識のうちに信じていたから。
理想から外れるたびに、不安が胸のなかで膨れて、怒りの種火になっていた。不安を解消したくて、無理やり現実を変えようと躍起になっていた。

この思い込みが生まれた経緯を思い出すのは、簡単だった。
わたしは異様なほど心配性な小学生だった。みんなの前で先生に「忘れ物しました」と言うのが何より怖くて、次の日の持ち物を何度も何度も確認しては、完璧に備えていた。
完璧ならば、怒られない。安心していられる。
束の間の安心を得るために、常に不安でいっぱいなのが、わたしの心の平常運転だったのだ。

少々野菜を食べなくたって、歯磨きしなくたって、部屋が汚れていたって、息子が元気に成長していることにも、わたしの存在価値にも、何の影響もない。
完璧じゃなくたって、心配しなくていい。
完璧を目指さなくていい。
そう思えたとき、原因不明のイライラを抱く自分へのしこりが消えた。
行き場を失ってくすぶりつづけていた怒りが、小さくなって消えた。

「役目を終えた感情は立ち去る」というのも、講座で教わったこと。
心のしくみを知ると、厄介で手に負えなかった感情とすら仲良くなれるのかもしれない。


***
これは、たったひとつの講座を受ける前後のわたしの変化。
感情の湧きおこる理由をみつけて、心から納得してその感情を手放すことができた話。
そういう変化を偶然ではなく、必然的に起こすための知識が学べるから、共感者講座はおもしろいのだ。


ここから先は、ご自身で体験されるのが一番。
わたしの話を聞いて気になった方は、公式サイトをご覧ください。

最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。