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人生の大切な時間を貯蓄に費やしていた

私はフリーライターを名乗ってはいるが、派遣社員として某大手企業の広報でニュースリリース、社内誌発行、各種パンフレット制作、イベントアレンジなど、何でも屋さんとして働いてもいる。

なぜならば、フリーランスとして自分の力で稼ぐぞ!と張り切りまくっていたさなか、人生の転機がきてしまったからだ。

新天地で一からのスタート


パソコンも支給されない東京のブラック制作会社で、週刊誌の編集を担当しながら人脈を広げ、虎視眈々とフリーランスとして独立することを夢見て寝る間も、彼氏とのラブラブ時間も惜しんで働くこと数年。

28歳、女としてノリにノリまくっているはずが、ストレスで肌が荒れ、敏感肌用の化粧水でさらに悪化し、目がお岩さんになったことをきっかけに会社を辞め、自動的に独立することになった。

最初はどうなることやらと不安を抱えつつも、築き上げた人脈のおかげで普通に生活できるくらいの仕事依頼があり、1年後にはブラック制作会社であくせく働いていた時の倍の収入になった。

そんなノリノリ絶好調を過ごしていたある日、シルクロードの雑誌企画で長期取材決定!映画「敦煌」をみてから、莫高窟に憧れていた私にとって願ってもない仕事。
ルンルンしながら行った取材旅行で、なんと一生ルンルンできる人にも出会ってしまったのだ。

しかも、相手は大阪在住。
2年ほど遠距離をするも、お互いいい歳だし、新幹線代ももったいないしという流れで結婚することになり、大阪移住が決定した。

フリーランスであれば、大阪にいても東京の仕事できるなとあま~く考えていた私の目論見はすぐに崩れ去った。今でこそ、オンラインミーティングが当たり前になったが、当時は、顔を突き合わせての打合せが当たり前。
しかも、打合せ交通費は製作費(原稿料)に含まれる。さすがに東京ー大阪間の往復新幹線をペイできるような仕事はなかなかない。

こうなったら関西の制作会社に営業しまくるしかないか!といくつか調べ
応募してみたりするも、関西エリアに強いライターが欲しいといわれ門前払い。

さて、どうしたもんかなと仕事を探していた時に見つけたのが某大手企業の広報室での派遣業務。仕事内容を見ると、社員へのインタビュー取材などライター業務が多そうだし、何より大手企業の広報室=大企業の広告代理店とのつながりは確実にある=人脈ができる!
と見込んで、まずは派遣社員として働くことにした。

ある程度人脈ができたらとっととやめるぞ!と思っていたはずなのに、気づけば勤続年数10年を超えていた。

会社を辞められない理由


やめるタイミングはいつでもあった。

最初の目論見通り、3年経過したころには、取材でご一緒したカメラマン、社史を作ってくれた制作会社やライター陣、そこからの飲みニケーションで知り合いになった業界人など、幅広い人脈ができ、東京からの仕事のほか、関西エリアでの仕事もちょいちょいオファーがくるようになった。

こうなってくると、派遣社員として平日9時~17時半まで拘束されているのがもったいない。有給を駆使してなんとかやりくりしていたものの、有給を使い果たしても間に合わなくなった。

有給がまだあると勘違いし、有給申請をしたとき、派遣の営業担当さんに
「有給使いきれなくて、やめるときに有給消化したり、もしくは捨てる人は多いんですけど、有給休暇使い果たしているのに、しれっと申請する派遣さん初めてでした」
と言われる始末。

それくらい有給も取りやすく、一緒に飲みに行くのも楽しい同僚たちだったもんだから、居心地がよすぎて、やめるタイミングを逃してしまった。
しかも、本社広報室にいることでまだ世の中に出ていない最新技術を目の当たりにできるという新しいもの好きを刺激する環境でもあった。

4年程前、長期海外取材ありの企画書が通ったとき、辞める理由ができた!と思ったものの、3か月契約を更新したばかり。

所詮、派遣社員なんだし、ぶっちしても良かったはずなのに、そういうときだけいい子になり
「やはり、今までお世話になったのにこんな風にやめるのはよくない」

とかなんとか理由をつけ、長期海外取材の仕事は別のライターが担当することになった。

仕事も恋愛も一緒じゃんねあたし!と思ってしまった。

今の彼氏は特に熱烈に好きって気持ちもないけれども、気を使わないし一緒にいて楽。けど、もしいい人に巡り合えたら別れるわなんてキープしておくも、結局、いい人に巡りあったとしても、新しい彼ともしダメになったらどうしようと不安ばかりつのり、結局ずるずるとさほど好きでもない彼氏と付き合い続けてる・・・(←20代の頃の私)


固定給の魔力


一番の理由は少ないながらも固定給が得られること。固定給といっても、所詮、派遣社員。勤務日数が減ると月給も下がるし、有給を使い切ってさらに休んだ月なんて、大学生のアルバイト?というくらいの薄給のときもある。

が、少なくてもないよりはあるほうが安心する。

フリーランスで働いていると、どうしても少なくなる月が出てくる。
毎月固定給が入ってくる生活に慣れてしまうと、実入りがなくなるとどうも不安になってしまうのだ。

そんなとき、老後2000万円問題が世間をにぎわし、

「やばい!2000万円ないと野垂れ死にする」
と思いこみ、せっせと貯蓄に精を出した。

派遣とライター業と2足の草鞋をはいていると、それなりの収入になる。
が、派遣の仕事で平日の拘束時間があるためにオファーがきた仕事をすべて受けられない。にも関わらず、居心地や人間関係の良さにどっぷりと浸かってしまったため抜け出せない。

少ないながらも着実に貯蓄もでき、資産運用も軌道に乗り始め、頑張れば2000万円もいけるな~なんてニヤニヤ。

でも、何か充実感がない。
そんなことをもやもや考えていたコロナちょい前、関西にきてからお世話になりまくっていたAさんが急死した。
47歳だった。

人生の大切な時間を貯蓄に費やしていた


葬儀での喪主のあいさつの一節が心から離れない。

「故人が夢だった海外での●●仕事があと一歩というときでした。残念でなりません・・・」

そうだった。
Aさんは自分の夢に向かってひたすら走り続けていた。
本業の実入りが少ないときは、副業をして稼いでいた。

私はどうだろう。
本当にしたいことを副業にして、お金を稼ぐために本業をずるずると続けている。お金も時間も有限だから、別に悪いことではない。

しかし、時間の経過は老いと直結する。
現に、いくら考え方や気持ちが若くても体がついていかないこともある。

人生の大切な時間をお金を貯めることに費やしてしまっていいのか。
お金がなくては心にゆとりがもてなくて、ギスギスするかもしれないけれども、本当にやりたいことを後回しにして、今の薄っい固定給に固執して、あ~ら70歳!になっていいのか。

自分の時間を取り戻さねば!と急にやる気モードになり、年度末の区切りでやめるぜ!と決心したとき、コロナが蔓延し、緊急事態宣言が発出され、突然、在宅勤務に切り替わった。

さらに、コロナのせいで、副業の取材もすべてキャンセル、企画書もすべて白紙に戻り副業収入は雀の涙になった。

こうなってくると固定給のありがたさがまた身に染みてきた。さらに在宅勤務で副業の仕事はさらにやりやすくなり、またしても、やめるにやめられなくなった。コロナが終息したとしても、在宅勤務にシフトするようなリリースもきたことでこれは会社に居続けたほうが得策?と思い始めた。

今までは、いつクビを切っていただいても結構!という開き直りもあって、めんどくさい仕事を頼まれると


「私のお時給の範囲じゃございませんので」


と偉そうなことをいって、時給が安いのを言い訳にして仕事を断っていたのに今、クビになると困ると思い始めると、言われた仕事はやっておいたほうがいいかも?と思い、副業が暇なのもあって、進んで仕事をし始めた。

そうなってくると、正社員たちはどんどん仕事をふってよこし、
「年休消化しないといけないからごめんね~」
とメールがきて、しょっちゅうお休み。


というか在宅勤務だと、電話に出なかったり、朝送ったメールの返事が翌日なんてことが続くと、ほんとに仕事してます?と疑いたくなるような、突っ込みどころ満載の正社員もちらほら。しかし、こちとら、クビ切られては元も子もないし、そもそも有給使ってお出かけもできないしと、せっせと働いた。

そうなってくると雪だるま式に仕事が増え、朝早くから夜遅くまでPCを閉じられなくなり、ランチは、りんごをかじるだけなんて日も出てきた。

さすがに仕事しすぎだろ?と文句のメールを部内に送ろうとした2月初め。
上司からメールがきた。

タイトル:「次年度のゆきんこさんの業務について」

も、もしかして仕事をめちゃくちゃこなしてるから正社員になりませんか?とか?いや、それはないな・・・は!お時給あがっちゃうんじゃ?
なんてニタニタしながら出社した。

話題の派遣切りにあいました


私の仕事ぶりを評価されちゃうんじゃ?
隠してたのに、実力ばれちゃったな~なんて思いながら頬が緩むのを必死でおさえていたのに、上司が口を開いた瞬間、硬直した。

年度末の着地見込みが大幅赤字なこと
次年度予算から人件費を削らないといけないこと
一度派遣社員を全員切らなくちゃいけなくなったこと

を坦々と話された。

今までのチャラチャラした働き方なら納得するものの、在宅勤務になってからの働きぶり、売り上げは知ってるはず。
切られるにしても言いたいことを言わねばすっきりしない。
仕事していない正社員の暴露もせねば、つか、そんな切り捨て方するなら
こっちも有給余りまくってるし、引き継ぎなんかせずに明日から辞めてやるぜ、もちろんクライアントへのあいさつなんかしませんよ!と鼻穴を最大限に膨らませ攻撃に出ようとした瞬間。

「で、ゆきんこさんの性格からすると、じゃ明日から辞めますっていうでしょ。それじゃ困るんだよ」

と出鼻をくじかれた。しかし、勝手な言い分だな。と何も言わずに、鼻息だけ荒くしていると

「でね、派遣契約は終了するけどこれからも仕事を一緒にしていきたいと思っているんだ。フリーランスで仕事請け負っているよね?うちから仕事を発注する形にしたいんだけど、どうだろ?」

なぬ?

「ただ、個人事業主との取引はできないからどこかの制作会社経由になるか、法人事業を立ち上げるかとかしてもらうことになるんだけど」

と矢継ぎ早に提案された。

いや、2か月で法人設立するのは無理だし、そもそも法人化するほどの売り上げはあげられないだろうし。と頭をフルスロットルで回転させ考えてみると、こりゃいい提案だなと内心にやり。

自分の頭で考えて稼ぎ力を身につける

すぐに食いつくのも相手の思惑通りでむかつくので、鼻穴を膨らませたまま憮然とした態度で

「ひとまず、考えていいですか」

と立ち去ろうとしたら、すぐにOKもらえるともくろんでいた上司が慌てて

「うん、そうだよね。こっちの都合だもんね。でもね、ほんとにゆきんこさんがいなくなると困るんだよ。在宅勤務になってからの仕事量も報告を受けているし、よくやってくれている。クライアントからの評価も高いしね。有望な人材を雇用し続けられなくて申し訳なく思っているんだ。だから前向きに考えてもらえると嬉しい。もちろん報酬額もちゃんと検討しているから」

なぬ?金の亡者の心をつかむ一言を言ってしまいましたな。

心の中では、フィーバーしまくり、顔がにやけるのをぐっとこらえて

「でも結局、雇用が守られるのは正社員だけで、派遣社員は世間がいうように使い捨てなんですね」

と言い捨てて立ち去った。

そのあと、トイレにかけこみ「ひゃっほ~い」とようやく喜びを声に出すことができた。

まあ上司のさらに上の、役員報酬をもらっている天下りさんたちが数字だけみて「派遣切れ~」と大騒ぎしているに違いない。

こういうとき、役員報酬返上して、正社員だけでなく派遣社員の雇用も守ったらめちゃくちゃいい会社として評価されるのに、大企業ほど身を切る改革ができないものなのだ。

薄っい固定給で安心を得て、ぬくぬくしていたけれども、派遣切りにあったおかげで、新しい一歩を踏み出せる気がした。

業務委託契約になれば、自分で仕事内容に応じて見積額を提示することができる。派遣会社にお時給を搾取されてた分がそっくりポケットに入ることになり、先週末、納得の金額で契約締結とあいなった。結局、業務委託がなくなれば0になるわけだから、もらえるうちにもらっておかねばならない。額が全然違うが、プロ野球選手の契約更改を思い浮かべ、金額に納得がいかないとかいい、契約保留を3回もしてからの契約締結。3回目は上司もさすがに弱腰じゃいかんと思ったのか

「会社としてはこれが精いっぱいだ。もし無理ならあきらめる!」

と男を見せてきた。さすがに、釣りあげすぎたなと反省しつつも、値引きする代わりに、譲歩条件に35日ある有給の買取を追加した。そういえば、昔から価格交渉が大好物だった。アジアを初めて旅した時に、たった100円まけてもらうために、3つでいくら?とか、この値段なら買わない!と言いながら立ち去ろうとしたり、商売人との駆け引きを楽しんでいたことを思い出した。

これからは、よりクオリティ高いものを納品しないといけないし、悪くなれば業務が来なくなることも十分考えられる。ますます自分の頭で考えて、稼がなければならない。

会社に振り回されず、自分の働き方に責任をもって仕事をするのは日々の生活にメリハリも出る。しかも、給料に反映されるとなると、金に目がない私はかなり本気モードでいけるはず。

ボーリング大会の景品が興味ないものだと、スコアがあがらないのに、金一封になった瞬間、やる気スイッチが入り、優勝してしまうというほどお金大好き女。

中学生のときにでっかいCDコンポ(当時10万の代物)が欲しいと両親にねだったら
「学年で3番以内に入ったら買ってあげるよ~」(←いつもだいたい30番前後)
と絶対に無理だろうと思っていた順位を提示したのに、本人は本気でほしいがために、寝る間を惜しんで勉強し、なんと2位に入ったわたくし。

目の前に大きい人参がぶら下がればぶら下がるほどやる気がみなぎる性格なのだ。

だったらなぜ早く行動しなかったのか。基本めんどくさがり屋だから。

めんどくさがり屋なもんだから、人参がでかくないと動かないし、動くまでも時間がかかってしまったのだ。そして10年経過してしまった・・・

派遣切りにあってよかったのかもしれない。
コロナは最悪なウィルスだけれども、今の働き方を見直すきっかけになった。

私の寿命は天のみぞ知る。いつ寿命がきてもいいように、自分の人生を全力で走りぬき、自分という人間を使い切りたい。

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