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ヨーロッパの通訳者たち

こんにちは!


私は現在、イギリスのロンドンメトロポリタン大学会議通訳修士コースで学んでいます。2年間(2020-22年予定)のパートタイム学生です。今回は、ヨーロッパの通訳者を取り巻く環境について書いてみたいと思います。

EU各国から集まる学生

現在私の学んでいる大学院の会議通訳修士コースには、私を含め18名の学生がいます。そのうち、私を含めた3名がパートタイム学生(2年間で修了)で、あとは全員フルタイム(1年間)で勉強しています。学生の国籍も様々です。言語は、日本語の学生が私を含めて2人(私は日本人ですが、もう一人はイギリス人)。その他に、英語、フランス語、イタリア語、ポーランド語、スペイン語、ドイツ語、中国語、アラビア語を母国語(A言語=母国語レベルに流暢に使用できる言語)とする学生が集まっており、一般の授業は全て英語で行われます。多くの学生は、やはりEU加盟国出身者です。会議通訳の修士号を取得して、欧州連合(EU)で専属通訳者(staff interperter)として働くことを目標としている学生も少なくありません。もちろん、EU以外でも様々な分野で通訳者の活躍チャンスはあります。しかし、ヨーロッパにいる限り、常に加盟国同士で多くの国際会議を行っているEUのような国際機関では、通訳需要が大規模であることも、容易に想像できます。また、中国語やアラブ語は、国連の公用語になっているので、そちらの可能性を目指している学生もいます。

マルチリンガルが当たり前

特にヨーロッパ出身のクラスメート達は、3つ以上の言語を「話せる」または「理解できる」というのは当たり前です。例えば、英語を母国語とし、フランス語に通訳できる、さらにスペイン語も理解できる。また、イタリア語を母国語とし、英語に通訳できる、でもフランス語も理解できる、などです。中には、ルーマニア語が母国語で、英語、ロシア語、スペイン語、イタリア語もできるなどという強者もいます。(通訳者としての言語習得には、「通訳できる」、「能動的に話せる」、「聞いて理解できる」のレベルで区分けがありますが、その理由は以下で詳しく書いています。)

EUの専属通訳者が活躍する場所は、3つ。ベルギーの首都ブリュッセルに本部がある1. 欧州議会2. 欧州委員会、またルクセンブルクにある3. 欧州司法裁判所です。そして、EUの専属通訳者になると2つの大きな利点があります。1つは、組織に所属する専属通訳者なので、フリーランスと違い仕事が安定し、途切れる心配はありません。また、2つ目のメリットは、通訳者の労働環境がしっかりと守られていることです。AIIC(国際会議通訳者協会)が厳しく定める通訳者の職務規定や労働基準 (労働時間、賃金、安全な仕事環境など)が、EUや国連の専属通訳者にしっかりと適用されているのです。

(※残念ながら、日本語はEU公用語には含まれないので、日本語通訳者がEU専属通訳者になることはできません)

EUの公用語

これを書いている2021年2月現在、EUの公用語は24言語です。27加盟国全ての言語をカバーしています。では、EUの専属通訳者になるためには、どの言語を通訳できればよいのでしょうか?例えば、私たち日本人にとって「国際会議の舞台で通訳する」というと、まず思いつくのが英語と日本語の2言語ができる通訳者だと思います。しかし、公用語が24言語あるEUでは、話がもう少し複雑になります。まず通訳者が「通訳できる言語(working languages)」には3つの定義があります。「A言語= 母国語(mother tongue and is also an active language)レベルで通訳できる」「B言語(active language)=習得言語として通訳できる」「C言語(passive language)=聞いて通訳できるが話せなくてもいい」という3つのレベルです。例えば私のような日英通訳者は、A言語=日本語、B言語=英語です。そして、普段の仕事では、日本語(A)を聞いて英語(B)へ(またはその逆)という双方向の通訳を行っています。しかしEU機関で通訳する場合は、やむをえない例外を除いて、ほとんどの場合、BまたはC言語から→A言語への訳出のみとなります。つまり私の場合なら、英語(B)を聞いて、日本語(A)へ訳すことはしますが、日本語(A)→英語(B)という方向の訳出は求められません。理由は、通訳者から発せられる訳出レベルが、言語として完璧であること(=A言語)が求められるためです。そのため、各言語のブースに入る通訳者は、その言語の母国語レベル(A)であり、習得言語(B)または(C)を聞いて、A言語に訳すことに徹します。

ちなみに、B言語方向に訳すことを「Retour」言い、欧州ではこれが避けられる傾向にあるようです。通訳者の中でも、絶対に「Retour」の通訳はしないと決めている人も少なくありません。

EUで専属通訳者(staff interpreter) になるには?

EUの通訳者になるためには、選考試験があります。まず応募し、書類選考を通過した候補者は、ドイツ語、英語、スペイン語、フランス語またはイタリア語から、自分のA言語に通訳するという一次試験を受けます。この試験科目は、逐次通訳(± 6分間)と同時通訳(10-12分間)です。その試験に合格すると、次は二次試験です。しかし、これは時期が決まっているわけではなく、一次試験に合格してから二次試験にいつ呼ばれるか、確約はないようです。運良く二次試験のチャンスが巡ってきたら、自分が申請した言語の中から、また通訳試験があります。これは、BからA、もしくはAからBのRetourもあるようです。試験科目は、一次試験と同様、逐次通訳(± 6分間)と同時通訳(10-12分間)です。いづれにしても、試験は全ての言語で定期的に行われているというわけでもなく、選考も厳しいようです。何より、競争率も高く、かなりの狭き門ということができるでしょう。大学院卒業後、すぐに専属通訳者に合格する優秀な学生もいるようですが、大抵の場合は、大学院で会議通訳修士を取得後、フリーランスなどで通訳者としての経験を積んだ後、試験を受けるようです。そして合格すると、晴れてEUへの道が開けます。


通訳者として競争力を上げるには?

先ほど、私のクラスメートは皆3ヶ国語以上できるのは当たり前、中には4ヶ国語も珍しくないと書きました。しかし、EU専属通訳者になるのに、その全部がA言語レベルである必要はありません。その中で、最低1つがA言語であれば、その他はBでもCでも良いのです。要は、BやC言語を聞いて、完璧に訳せるA言語を1つでも持っていればいいわけです。ただ、このA言語が多ければ有利かというと、そんなに単純でもありません。例えば、イタリア語Aで、英語とフランス語がBの人がいるとします。その人と、英語がAで、フランス語Bとルーマニア語Cの人では、どちらが希少価値が高いでしょうか?これは、2つの理由で後者に軍配が上がります。1つは、英語がA言語ということです。これは、通訳者としてとても、とても有利な条件です。なぜなら、英語がA言語である通訳者の絶対数が少ないからです。その上で、英語はほぼ全ての通訳者が理解できるため、リレー通訳の起点言語になるのです。そしてもう一つの理由は、「ルーマニア語」という希少言語をC言語で「理解できる」という点です。つまり、欧州では、言語の数だけではなく、いかに希少性が高い言語を自分のポートフォリオに持てるか、が通訳者の差別化要因になるという現実があります。英語、フランス語、スペイン語あたりは、「できて当たり前」という風潮があります。例えば、英語Aで、フランス語Bの通訳者の場合、フランス語を頑張ってA言語に磨きあげるよりも、ルーマニア語のような参入者の少ない言語新しく学習し、C言語として加える方が、競争力を増すことができるというわけです。そのため、欧州の通訳者たちは、常に戦略的に新しい語学を習得しようとしています。ちなみに、この「習得」の定義としては、「最低3年間その言語を学習し、その言語が日常的に使用されている国に半年以上の滞在経験があること」だそうです。何とも気が遠くなるような話ですが、通訳者はそれを楽しんで勉強しているように感じます。


Brexitとイギリスの通訳者

さて、Brexitはどのようにイギリスの通訳者に影響しているのでしょうか?イギリスがEUを離脱したからといって、EU各機関で英語通訳者の需要がなくなるということは、当面ないようです。むしろ、離脱後の貿易協定や、それにまつわる企業間のゴタゴタで、訴訟などはこれからどんどん増えてくるだろうという話を聞きました。欧州司法裁判所でも、まだまだ英語の通訳者は必要とされているそうです。

ヨーロッパでの日本語

当たり前ですが日本はEU加盟国ではないので、日本語通訳者にとって、EU加盟国の通訳者ほどの市場規模がないのも事実です。私はかつて、イギリスである通訳エージェントに登録しようとした時「日本語は希少言語のカテゴリーです」と言われて驚いた経験があります。日本に住んでいると、日本語を話すことが当たり前すぎて、それがどういうことか想像もつかなかったことです。でも、そうなんです。イギリスで日本語を話しているのは、日本人しかいません。ましてや、日本人以外で日本語が理解できる人は、ほぼ皆無に近いのです。そのため、イギリス(または欧州)在住の日本語通訳者というのも、ある意味で大変「希少な」存在です。そのため、日本語を通訳者のポートフォリオに持てることは、大変貴重なことだと思っています。そのかわり、大規模な国際会議でもない限り、日英通訳者はA言語だろうとB言語だろうと、常に日英双方向の通訳が求められる場が多いのも事実です。特に、企業間のミーティングや、日本が親会社の企業と欧州支社のミーティングなど、日本語→英語の通訳も多くなります。そのため、日本語のような希少言語の通訳者は、Retourは避けて通れません。

今後の展望

近年、日本・EU経済連携協定(EPA)の締結が結ばれたり、昨年 には日本とイギリスの間で、日英包括的経済連携協定(CEPA)に署名がされました。またイギリスは先月、環太平洋パートナーシップ(TPP)への加盟申請を行いました。そんなわけで、私としては、今後ますますイギリスで日本語通訳者の需要が増えることを期待したいと思います。

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