【新世紀の流行歌 4章】 「開演前夜」

 わたしとユイネは、わたしの狭い部屋で音楽制作を続けた。スタジオから持ち出したのはギターと小型のPC、あとはより小さな、いくつかの機材。それに、わたしのキーボードが加わるだけで制作には充分だった。
 ユイネはギターを上手に弾いた。前はわたしも一人で音楽をやっていたんだとユイネは言った。詳しくは教えてくれなかった。
 音楽づくりは楽しかった。コードもビートも知らないことだらけで、その度にユイネは、少し口は悪いけれど丁寧に教えてくれた。
 歌詞は思っていたよりもするすると書けた。ユイネとの、この経験があったからだと思う。
 そして二日が経ったころ。ようやく一つの曲を完成させることができた。ユイネは完成と同時にベッドに倒れ込んで眠ってしまった。
「もう明日の晩はライブだし、ここで寝かせて」
 窓の外はもう暗くなっていた。

 電話が鳴った。わたしの端末だった。
 電話がかかってくるなんていつ以来だろうか。画面の表示によれば、相手は職場のマネージャーだった。乗り気はしなかったけれど、電話のベルはなかなか途切れなかった。しかたなく通話を開始する。
「ああ、イクハちゃん? よかった、電話出てくれて。このあと、お店に出てこれない? どうしてもって君を指名してるお客さんがいて」
 指名。そんなのは初めてだった。いや、これまでもあったのかもしれないけど、わたしに指名料を払う必要のない店から告げられることはなかった。
「あの、どうしても行かなきゃだめですか」
「そりゃあ来てもらわないと困るよ。まだ同じ部屋にいるんでしょ。なんか友達と一緒に住んでるんだって? 強制退去させることもできるんだから」
 ただの脅しかもしれない。ユイネの寝顔を見る。すぐに答えは出せなかった。
 マネージャーが大きくため息をついたのが電話越しで聞こえた。
「それじゃあ、今回だけでいい。今回来てくれれば、もうしばらくは休んでいいから」
 その譲歩には少し違和感があった。それほどまでに、今回の指名客から金額をもらえる三段なのだろうか。
 今回だけ。それだったら。
「……わかりました。向かいます」

 慣れたホテルの客室で、わたしは、わたしを指名したという客と対面した。その姿に驚いた。
「よく来てくれた。イクハ」
 わたしの名前を馴れ馴れしく呼ぶ彼は、モノーディアのミナトだった。
「どうして……?」
「どうして、だって? どうして君の職場を知っているか、については、もともと僕は君のところのマネージャーとは知人でね。ユイネの避難場所を斡旋したのはそのためだったんだ。まさかそこのセクサロイドとユイネが親しくなるとは思っても見なかったが、そのおかげで君に逢えたわけだ」
 ミナトは淡々と話し続けた。
「そして、どうして、君を呼んだのかというと、君に力を貸してほしいからだ」
「ちから? わたしになにをしてほしいの?」
「端的に言う。君には、ユイネの代わりに、モノーディアとして、僕と明日のライブに立ってほしいんだ」
 いたって真剣な眼でわたしを見続けるミナトに、冗談めいたものは感じられなかった。疑う代わりに、わたしは再び尋ねた。
「わたしに歌えっていうの?」
「ああ。簡単な話だろう。なんなら調声は僕がやってもいい。いい機会じゃないか。誰かに認められたいんだろう。アンドロイドだというのに」
 ミナトの言葉は、嘲笑のような物言いだったけれど、なぜか嫌味には聞こえなかった。
「ユイネは?」
「ユイネはもう用済みだ。そのわけは……。ああ、あの曲は聴いてくれたようだね。君にはもう分かっているみたいだな。ユイネはいまごろ、僕の思想に共感する仲間たちに捕まっていることだろう」

 ミナトは立ち上がり、近寄ると、わたしの顔にそっと触れた。すぐに弾いた。
「ライブは明日の晩だ。ユイネからチケットをもらったんだろう? 開演の時間まで楽屋で待っているよ。明日……全てが変わる。君を待っているよ」
 ミナトは動じず、そう言った。わたしは逃げるように部屋を出た。
 外は雨が降っていた。

 自宅。汚された床。倒れたキーボード。床に落ちた薄い毛布。誰かが押し入った痕跡があった。そして、そこにユイネはいなかった。

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