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恋愛ができなかった学生時代

 大学生時代、ひとりでさびしいという思いを抱えながら生きていました。

 そのころ世の中には、恋愛至上主義とでもいうような空気がありました。
 恋愛できて一人前。異性にもてないやつは、たとえ勉強ができても、人としては低い存在。そんな社会の目があったんです。
 いまの若い人に言っても信じてもらえないかもしれませんが、本当に世の中の扱いが全然違うと感じていました。

 私は、いくらがんばっても、恋愛というものができませんでした。
 理由はただ一つ。女の子に好かれなかったんです。

 人生イージーモードの恵まれた環境で育ったくせに、わがままな私はそれだけでは満足せず、他者を求めていました。
 両親からもらった愛情だけでは、どうしても満たされなかったんです。
 両親の手をふりきって、広い世界にとびだしていったのに、世界は、私を歓迎してはくれませんでした。

 誰が流行らせたのか知りませんが、「愛こそすべて」とか「ひとりでは生きていけない」というような、迷惑な文句が流行っていました。
「愛こそすべて」と言われても、誰からも愛されない私はどうしたらいいのでしょうか?
「ひとりでは生きていけない」と言われても、ひとりで生きていくしかない私はどうしたらいいのでしょうか?
 誰も答えてはくれなかったので、私はひとりで考えて、答えを探しながら生きていかなければなりませんでした。

「世界の半分」を知らないのは自分だけ?

 同性の友人ならいましたが、私以外はだいたいみんな彼女がいるか、または過去に恋愛経験があるようでした。
 偏差値の高い大学にいたせいなのかよくわかりませんが、もてる人がまわりに多かったみたいです。
 そんなわけで、まだ「世界の半分」を知らないのはほとんど自分だけ? という状況の中、私はすごく焦っていました。
 いま思うと、恋愛至上主義の抑圧が強い時代でしたから、中には「女性遍歴詐称」している人もいたのではないかと思えるのですが、当時はそんなふうに考える余裕はなかったです。

 若い男ばかりの集まりで酒が入ったりすると、場の雰囲気で女性に関するなんだか露骨な話題になることもあり、私一人苦痛を感じて、そういう集まりを自然と避けるようになっていった気がします。
 そんな苦痛を感じるくせに、恥ずかしいことにその「世界の半分」に対する興味は人一倍強くて、なんというか私は葛藤に引き裂かれた青春ならぬ「玄春」を送っていたのです。

満たされなかった人恋しさ

 恋人もおらず、同性の集団も苦手というわけで、必然的に同性の友人と二人でつるむことが多かったように思います。
 それでも私の人恋しさが満たされることはなく、遊びに行く約束を、当日その約束の時間になって突然反故にされるようなことがしょっちゅうでした。
「いまから女と会うことになったから」などという、私からすればわけのわからない理由でした。
 本当に、ろくな目にあっていなかったような気がします。

 みんな若かったのだとは思いますし、「友人との約束を破っても恋愛を優先すべし」という時代だったのだろうとも思います。
 ですがそれらのことを差し引いても、いま思い返してもずいぶん友だち甲斐のない連中が多かったように感じます。
 私は、勉強だけはできたかもしれないが、でも大学に入って勉強以外のことに目を向けてみたら、異性にも同性にも人望がなかった。人としての魅力がなかった。
 そういうことだったのだろうと思います。

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