雪鳴 ひろた
人間について。社会について。雪鳴ひろたがふだん考えていることを書いていきます。
羊が逃げていっても気づかないくらいに楽しい本の話を書いていきます(ネタバレあり)。
私の青春は「青」くはなかった。暗闇の中、はるか遠くにあるだろう青い春を激しく求めた、私の「玄春」時代の回想録。
(最終更新日 2024/2/5) 記事の数が多くなってきたので、目次を作ってみました。 新しい記事をいくつか書いたら、目次も更新していきます。 写真は、これまでに使った写真の中から選びます。写真もときどき気分で変えることにします。 いちどにたくさんリンクを張ったので、張りまちがいがあるかもしれません。もしリンクのミスがあるようでしたら、お手数ですがコメント欄にて教えていただけますと助かります。よろしくお願いいたします。 自己紹介 はじめまして、ゆきなりです(2
ご無沙汰しております。しばらく体調を崩してブログの更新ができませんでした。入院もして、何とか命拾いをしました。まだ本調子ではありませんが、とりあえず生きていますので生存報告です。
ロシアのウクライナ侵攻に対して、欧米の兵器供与が止まらないという話をしました。 「ロシアの軍国主義に対する自由と民主主義の戦い」だからですと説明してみたんですが、ここの説明が足りなかったように思いますので、今回はもう少し違うことも書いてみます。 もし日本が先の大戦で勝っていたら、どうなっていたかと考えてみたんです。 たぶん、大日本帝国・ナチスドイツ・イタリアを中心とした、軍国主義による世界秩序が作られていっただろうと思います。 アメリカ・イギリス・ソビエト・中国な
ロシアのウクライナ侵攻が始まってもうじき2年になります。 いまも激しい戦闘が続いているみたいですが、どちらも引く気配がなくて、なかなか終わりそうにないですね。 この戦争が起こるに至った背景として、ウクライナ国内の民族問題など複雑な要因もあるらしいのですが、でもどう考えても攻め込んだロシアが悪いでしょう。 ウクライナはこれほどまで国土の広範囲を不当に征服されてしまった以上、絶対にあとには引けないでしょうし、この戦争には「ロシアの軍国主義に対する自由と民主主義の戦い」と
生きることが恥ずかしいという記事を、前回書きました。 では、死ぬことが望ましいのかというと、全然そんなことはないですね。 やっぱり大切な「からだ」や「いのち」がなくなってしまうことは怖いです。 ただそういう死の恐怖とは別に、若いころの私は自分が嫌いで、自分の人生が嫌でした。 こんな人生なら早く終わってもいいのかなと、なんとなくですがそう思っていました。 自分の人生を大切に思えなくて、一度だけ危険な「運だめし」をしてしまったこともありました。 (「運だめし」につ
恥の多い生涯を送ってきましたとか、今回はそういう話ではなく、「生きる」ことについての話をします。 どういうわけか、人生のかなり早い時期から、「生きる」ことを恥ずかしく思う気持ちがありました。 自分が生きていることがうれしくて仕方なくて、「やったー、生きてるよ、ばんざーい!」という気持ちがあるのです。 一方で、もう一人の冷めた目で見ている自分が、そんな動物みたいな「生きもの」である自分を恥ずかしく思ってしまう、とでもいう感じなのです。 これだけだと、人には到底わか
夏目漱石の「坊っちゃん」は、漱石作品にしては珍しいくらいに、鮮やかなストーリーの小説です。 坊っちゃんは四国の中学校に先生として赴任するんですが、そこの生徒たちとうまくいかず、悪戦苦闘するんですね。 そんな中、坊っちゃんに親切そうに近づいてくるのが、赤シャツという東大出の教頭先生なんです。 ただこの人は紳士に見えるけれども、実は悪だくみをめぐらす策士なんですね。それで、直情的な坊っちゃんは反発します。 坊っちゃんが自分の味方にならないと見るや、赤シャツは強大な敵
年の瀬が近づいてまいりましたね。みなさまいかがお過ごしでしょうか。 2023年。なんとか一年生き延びることができました。 自分の命に終わりがあるということ、いつ来るかはまだわからないけれども、そのときは来てしまうんだと思い知りました。書いておきたいことを、どんどん書いていかなくちゃと思いました。 その成果が、とりあえずは下の図のようになりました。 8月25日からnoteを始めて、4か月で23の記事を書きました(図では22になっていますが、そのあと1本書きました)
子供のころは、多くの子供たちがそうであったように、私もクリスマスが大好きでした。 友だちと楽しく遊んで、ケーキを食べて、夜になって眠ると、なぜか翌朝には、枕元にプレゼントがありました。 サンタさんが来てくれたんだと思って、すごくワクワクしたのを覚えています。 ケーキやプレゼントもうれしかったのですが、家にあったクリスマスツリーも、私の心の奥深くに残っています。 私はどうも昔から、色彩というものが強く心に残るようなところがあって、赤・青・黄の豆電球が輝くクリスマス・
いまとなってはもう笑い話なんですが、若いころ、自分は不幸だと思っていました。 お金を出して、お店で「幸せ」が買えたらどんなにいいだろうと思ったこともありました。 でも、おとぎ話の世界みたいに「幸せ」を売ってくれるお店に出会えたことはありませんでした。 「幸せ」って、お金で買えない「プライスレス」なものなんだと、人生の早い時期からわかっていました。 人並みに女の子にもてたり、青春を謳歌したりできない自分には、手に入らないものなんだと、なかば諦めていたように思います。
若いころ「ヤンチャしてた」ような人が、「自分よりも強い奴としか戦わなかった」ことを武勇伝みたいに語っていたりするのを、聞いたことがあります。 世の中には、私のような者とは対照的に、日の当たる人生を送ってきたような人もいるのですよね。 日の当たる場所でやりたいことができて、武勇伝までこしらえて、うらやましい限りです。 でもですね、「自分よりも強い敵と戦う」ことは、実は決して武勇伝にはなり得ないことを、私は知っています。 いじめの話の続きです 小学校でいじめられた私
前回は、小学校でいじめられたので、中学受験をして無事合格したというところまでのお話でした。 合格した私立の中学校に進んで、いじめっ子とはさっぱり別れて、私は新天地で輝かしい学校生活を送れるはずでした。 私が入学した学校は男子校でしたので、女子を敵に回す恐れもなく、こんどこそ伸び伸びと過ごせるはずと思っていたんです。 ところが、大きな期待とともに始まった中学校生活は、最初からつまづくことになったのです(今回も陰惨な話です、すみません)。 いきなり学級委員になる
このマガジン「私の『玄春』時代」では、主に大学生時代のことを書いていくつもりですが、しばらくの間、もう少しさかのぼって子供時代のことも書いてみようと思います。 ですが、なにしろ恥の多い私の黒歴史ですから、今回と次回はかなり陰惨なお話になってしまうと思います。すみません。 初めのうちは、多くの小学生男子がそうであったように、私も仲間と一緒に楽しい学校生活を送っていました。 恵まれた家庭に育った私は、もとはわりと活発な子でした。 「スクールカースト」なんていう残酷な言葉
あちらを立てればこちらが立たず。とかく世の中は矛盾、対立することが多いですよね。 かつてヘーゲルは、矛盾こそが世の中を進歩させるのだと言いました。 矛盾を矛盾として徹底的に向き合うことで、その中からよりよいものが生まれてきて、社会が発展していくというわけです。 矛盾を憎むのではなく、むしろ容認し、そこに意味を見出していこうという前向きな哲学です。 たしかにそうやって世の中は発展してきたのだとは思います。 でもこの考え方を突きつめていくと、たぶん戦争を容認する考
noteを始めるより前に、ほかの某SNSをやっていました。 フォロワーさんも増えて、私自身もたくさんフォローして、多くの方とつながることができて、すごく楽しかったのです。 でも、だんだん「いいね」を押しに回るのが時間的にも、心理的にも負担になってきてしまったんです。 こういうのを「SNS疲れ」というそうですね。 そんな言葉があるということは、つまり私以外にも同じ悩みを抱えていた人がいたというわけで。なんだか感慨深いものがあります。 現在のところは、そちらのSNS
書を読みて、羊を亡(うしな)う。 なんだかドジな私のことを言われているような気がしたので、この言葉をマガジンのタイトルにします。 本を読んで、思ったことや、考えたことなんかを書いていきます。 けっこう独りよがりな、勝手なことを書いてしまうかもしれませんが、ほかのみなさんの読み方・解釈を否定するものではありません。 「まあそういう読み方もあるかな」くらいに受け止めていただければと思います。 また、テーマの性質上、本文中でとりあげた本の「ネタバレ」になってしまうと思