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63. 迷ったときの、自分へ。

2019年8月19日。
長いようであっという間だった日本での滞在を終え、僕は再びアメリカに渡った。

いよいよ大学3年目のシーズンが始まる。

振り返れば、今まで色んなことがあった。

大学1年目。チェコにいたころにプロチームの試合に参加したことが原因で、NCAAからの出場停止処分を受け一年間試合に出れないと言われていた中で始まった大学生活。毎日一緒に練習しているチームメイトたちが試合で活躍する姿を観客席から眺める日々だった。そんなある日。幸運にも、その出場停止処分が半年に短縮されるということをコーチから聞いた。「これで試合に出れる!」ワクワクが止まらなかった。しかし、コーチからそれを伝えられた次の日の練習で僕は右足首を骨折し全治3カ月の怪我を負った。本当に悔しかった。目の前にあった階段が音を立てて崩れ落ちていくような感覚だった。それでも、あきらめなかった。毎日ハードなリハビリに励み、なんとかシーズン終了直前に足は回復し、NCAA D1デビューを果たした。そのシーズンは合計、7試合に出場できた。当初は「試合に出れない」と言われていた中で7回もユニフォームを着てベンチに入ることができたことは本当に幸せだった。だが、その7試合で僕が残せたのは1アシストのみだった。

大学2年目。出場停止も解除され、怪我もなく、自分自身は万全の状態で新たなシーズンを迎えた。シーズン最初の方はレギュラーセットに入っていた自分だったが、いつのまにか出番が減り、いつのまにか4セット目に落ち、いつのまにか控え選手になっていた。試合に出してもらえない日々が続いた。そこで学んだ、「粘り強さ」や「執念」を意味する”Tenacity”という言葉。コーチから言われたこの一言が、自分の全てを変えた。「1対1に勝てなくても仕方ない。シュートを外しても仕方ない。パックを奪われても仕方ない。」そんな思いで毎日を過ごしていた自分の甘さに気付いた瞬間だった。それ以来、どんなバトルでも、どんな敵でも、たとえ普段の何気ない練習であっても、「自分は絶対目の前の戦いに負けてはならない。」そんな思いで毎日の練習に臨むようになった。あれほど、一回一回の練習、一回一回のメニュー、一回一回のシュートやバトルに対して、常に緊張し、常に闘志を燃やし、常に最善のパフォーマンスを発揮できるように考え続けた日々は過ごしたことはなかった。このマインドセットを身に付けられたことが、何より最大の収穫だったと思う。試行錯誤を繰り返しながらも、日頃の練習での小さな積み重ねが実り、僕はシーズン後半に再びレギュラーに返り咲くことができた。

だが、それで終わりではなかった。試合には出れるようになったものの、全くゴールを決められない日々が続いた。チームが好調を維持し、着々と勝ち点を積み重ねていく中で何もできない自分の存在。弱さを包み隠さずに言えば、本当に追い込まれていた時期だった。「ゴールを決めた!」と思い切り喜んで、幸せな時間を過ごすものの、ケータイのアラーム音がそれは夢だと教えてくれて、そのたびに落ち込むという毎日を繰り返した。

そのシーズン、結局自分が残せたのは2ゴールのみだった。大学初ゴールを決めることができたときは本当にうれしかったし、ほっとした。長いトンネルを抜け出すことはできた。だが、勘違いしてはいけない。俺は、たったの2ゴールしかできなかったのだ。数字がすべてではないかもしれないが、最低限のポイント数すら取ることができていない選手を、プロチームは必要とはしないだろう。 

あっという間に大学生活の半分が過ぎ去った。何も残せていないまま。
もし、また同じような一年を過ごしたら、自分の北米でのホッケーキャリアはほぼ先が見えなくなるだろう。4年目になって結果を出せば声はかかるかもしれない。でも、それでは遅い。大学3年目は、自分がプロになれるかを分ける、大きな分岐点になる。

きっと周りの人は言ってくれる。
「無理はしないで」
「責任を感じ過ぎないで」
「いつでも戻っておいで」
「そこにいるだけでもすごいことだよ」

その言葉は確かに嬉しい。応援してもらえることほど幸せなことはない。

でも、それじゃダメだ。そんな優しい言葉に甘えるわけにはいかない。自分は、必ずプロになる。もし仮に上手くいかないことが起きても、結果が出なくても、鼻をへし折られようとも、挑戦を続ける責務がある。俺がここでの挑戦を諦め、戦うことを拒否したら、この先の日本アイスホッケーはどうなる?自分が海外でプレイする姿を見て 「俺もやる!」と日本を飛び出していった後輩たちはどうなる?自分の夢を優先し続けてきてくれた姉や妹の存在は?早実を辞めてまで海外に行くことを了承してくれた両親の想いはどうなる?日本代表を五輪に導くといつも言っているのは誰だ?お前は日本を代表するプレイヤーなんだろう。すでに代表のユニフォームに袖を通した人間だろう。

周りとは「責任の濃度」が違うのだ。

高校2年生の時、俺はチェコに行くことを早実のチームメイトにしか伝えなかった。なぜなら当時は「個人の挑戦」だったから。「自分のチャレンジが上手くいこうがいかまいが、俺のことだし周りには関係ない。」

そう思っていた。

だが、今は違う。海外での生活が長くなればなるほど、心の中に「責任」が芽生えていった。もう、自分たった一人の夢をかなえるために海外にいるわけではない。

尊敬するトレーナーさんが、ある日教えてくれた言葉がある。
「夢とは、個人が達成したいもののこと。普通の人はこれでもいい。でも、アスリートはこれだけでは足りない。本当に持つべきものは、志。周りのみんなが達成したい思い、願いを背負い戦い続ける姿勢のこと。」

これを聞いて確信した。
今の俺が背負うべきは、「夢」ではなく、「志」だ。

この先、きっとまた困難にぶちあたるときがくるだろう。自分を疑いたくなるときもあるかもしれない。今までもそうだった。挑戦には常に困難がつきまとうものだ。だが、それ自体はさほど大きな問題ではない。最初からうまくいかないから、「挑戦」なのだ。

大切なのは、それに直面した時に自分を支えてくれるものがあるかどうか。俺にはある。自分を強烈に奮い立たせてくれるもの。それは”WHY”だ。
「なぜ俺はアメリカに来た?」
「なぜ俺はホッケーをやっている?」
「なぜ挑戦を続ける?」

どんなにつらい時でも、もう一度自分に問いかければいつも必ず力が湧いてくる。なぜなら、自分の覚悟と向き合うことができるから。

俺は、他の人にはできない挑戦をしている。いや、「させてもらっている」という言い方が正しいかもしれない。自分が毎日アメリカのリンクで好きな時間に個人練習をしている時、日本の学生たちは思い通りの時間にリンクを取ることが出来ず、深夜2時からの練習をし、練習後は始発でそのまま大学にいくという人もいる。他にも、ホッケーがしたくてもチームメイトが集まらずに我慢を続ける毎日を送る人達もいる。

三浦優希よ、逆境にくじけるな。

お前が折れては、だめなんだ。

「自分を追い込み過ぎないで」や「いつでも逃げていい」という言葉は自分には当てはまらない。それが言えたのは日本にいた頃だけだ。今は違う。逃げたくなっても、逃げてはいけない。壁が現れても、引き返してはいけない。常に挑み続けろ。なぜなら自分の存在がみんなの思いを背負う「志」そのものだから。人から笑われてもいい。これが俺にとってのプロフェッショナリズムだ。

こんなことを書くと、「自尊心高過ぎ」とか、「自己顕示欲強すぎ」とか言い出す人もいるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。俺はそんな小さい範囲の物事を気にしていられるほど暇じゃないし、時間もない。

常に自分に問い続けろ。
「それでいいのか?」
「それで十分なのか?」
「それでプロに行けるのか?」と。

俺は自分のことが上手いとは全く思わない。本心だ。
人からはよく、「三浦さんは謙虚ですね」と言っていただけるが、ホッケーに関して俺がこれをいつも否定するのには明確な理由が一つある。その答えはごくごく単純で、「自分より上手い選手を何人もこの目で見てきた」からだ。日本から応援してくれている人や、例えば大学や高校からホッケーを始めた人にとっては、俺は「うまい」かもしれないけど、俺は今まで、自分よりも年下ながらチームで活躍しまくってプロに進むというような選手を何人も見てきた。そういった選手たちとホッケーをしてきた中で、自分が「うまい」だなんて口が裂けても言えない。今、18歳でもNHLに行く選手がいるなか、俺はもう23歳になった。

つまり、すでに世界との差は少なくとも5年分以上ある。それを今後のホッケーキャリアでどう埋められるのだろうか。「だろうか」というより、埋めなきゃいけない。

つまり、人と同じ成長スピードではダメだということだ。周りの選手と同じ景色を自分が見ていては、その差はいつまでも埋めることはできない。

先を見続けろ。
手を動かし、足を動かし、もがき続け、考え続けろ。自分がアイスホッケー選手だと胸を張って言える時間は限られている。この瞬間にも減っている。

焦りとはまた違う。いま、体の内側から強烈なエネルギーと共に湧いてくるアツい何かの正体はきっと、自分が挑戦を続けられることへの感謝だ。日本で過ごした3か月間は本当に実りの多いものとなった。いろんなリンクに行くたびに、「いつも応援してます!」や「頑張ってください!」と声をかけてもらった。海外でホッケーをしており、日本でなかなか試合をする姿を見せられない私にも、ファンの方々がついてくれている。それだけではない。日本に帰るたびに温かく迎えてくれる友達や家族、海外でともに戦う仲間と日本で一緒にトレーニングする時間や、お世話になった早実の先生、コーチ、年齢関係なく熱く語り合える同じプログラムのクラスメイトや、お話を聞かせてくれた他競技の方々など、数えだしたら本当にきりがない。本当に多くの人が自分の挑戦をいつも見届けてくれている。

あとは、自分次第。

さあ、この一年間はどんな時間になるのだろうか。どんなことに挫折し、また、どんな喜びを手にできるのだろうか。本当に楽しみだ。

常に感謝の心を持ち続け、気高く挑戦を続けよう。

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何かに迷ったときは、またこのnoteを読み返そうと思います。
最後までお付き合いくださり本当にありがとうございました。

三浦優希

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