見出し画像

159. 決断の哲学 「難しい方を選ぶ」

今回は、僕が今までの自分の人生で見つけた、決断の哲学についてお話ししたいと思います。これは僕が何かを選択する際に最も大切にしていることであり、全ての判断軸となっていることです。

僕が大切にしている哲学は「何かに迷ったら難しい方を選ぶ」ということです。

しかしこれは、最初からわかっていたことではありません。自分のこれまでの決断を振り返ったときに初めて気づいたことであり、誰かに教えられたものでもありませんでした。

高校入学時の決断

僕の中で一番最初の大きな決断は、高校進学で早稲田実業を選んだことだと思います。当時の僕は、ありがたいことに北海道や青森の高校からも声をかけて頂いていました。でも僕は早実に進むことを決めました。

これはホッケーをやってる人からすると意外な選択に聞こえるかもしれません。

というのも、早実は経験者と未経験者の融合チームであり、経験者はチームの半分以下、練習回数も週に2回ほどであり、言ってしまえば、ホッケーをする上でベストな環境とは決して言えなかったと思います。

ではなぜ僕は早実を選んだのでしょうか。

それは「東京に残ってもチームを勝たせることができると自分で証明したかった」からです。これは入学時、本気で掲げていた目標でした。日本一になってやる、と冗談抜きで目標にしていました。

当時の東京のホッケーの流れとして、中学卒業後はホッケー強豪校のある北海道、東北、埼玉や栃木など、東京外の高校に進学することが一般的でした。

ただ、僕としては、当時のその潮流には疑問を抱いていました。というのも、大学アイスホッケーは一部リーグのチームが関東に集約しており、高校卒業後はほとんどの選手が再び東京に戻ってくることが多かったからです。

当時の僕は「だったら東京に残って、全国トップを目指したい」という想いを強く持っていました。ある種、独りよがりというか、思春期真っ盛りというから中二びょ…まあいいでしょう。とにかく、自分がやりたいと思ったところで結果を残すことを実現したかったんです。それに加えて、早稲田大学に進学したい、という背景もありました。

しかし、そんな僕の希望は早々に打ち砕かれます。

早実に入ってからは、苦労の連続でした。とにかく試合に勝てなかったし、関東代表強化プログラムにも呼ばれなかったし(父にメンバーリストを渡された時のことを今でも覚えています)、全国大会でも早々に敗北してしまったりと、とにかく自分の実力不足を正面から突きつけられた時間でした。

しかし、その時間は僕を大きく成長させてくれました。周りのチームメイトからも、本当に多くのことを学びました。そこには経験者・未経験者は関係なく、一人のチームメイトとして、多くの人からアドバイスをもらったり、叱られたりと、本当に充実していたと思います。

何より変わったのは、自分自身が練習や試合に臨む際の考えです。当時の僕は「自分でなんとかする」という気持ちが欠落していました。しかし、時が経つにつれ、自分のコンディションなどは言い訳にならず、どんな時も結果を残さなければいけない、という事を学ぶことができました。このチームを勝たせるためには、自分が常に最大限の活躍をしなければならない、と考えるようになりました。これは自分勝手なプレイということではなく、早実というチームにおいて経験者が理解するべき自分自身の役割の一つでした。

振り返ってみれば、最終的に日本一になるという目標は達成できませんでしたが、高校2年生の時には北海道の強豪校に金星をあげることができたり、それがきっかけでU20日本代表に呼んでいただいたりと、早実に入ったからこそ成し遂げられたことが多くありました。

僕は本当にこのチームが大好きでした。当時のチームメイトやコーチ、先生方には言葉では表せなかったほどお世話になりました。本当にたくさんのことを学ばせていただきました。

しかし、そんな僕は、意外な形でこのチームを離れることになります。高2の夏のことです。

チェコ留学の決断

高校2年生の夏。振り返ってみれば、ここが僕の人生最大の分岐点となりました。

僕は、学校の留学プログラムを利用して2週間の海外留学を行いました。早実には留学制度があり、審査に通れば学校側から費用を出してもらえる形で好きな国に数週間行くことができる制度がありました。それを利用して行った国が、ヨーロッパのチェコでした。

元々は、「自分の実力を知りたい」という思いから短期留学を決めましたが、それ以前に僕がチェコを選んだ理由は、小学4年生の時に一度訪れたことがあったからです。その時に見たチェコのホッケーがとても美しく、僕は「いつかこの場所でプレイしたい」という漠然な憧れを持っていました。

そんな中で訪れた、再びチェコに行くチャンス。この時僕は、現地でアイスホッケーをされている日本人ご家族(のちにホームステイをさせていただいた第二の家族)や、過去にチェコのプロリーグでプレイしたことのある方(小学生の頃からお世話になっていた)など、さまざまな方々のサポートや助言があり、当時チェコU20トップリーグに参戦するKladnoというチームの練習に参加させていただくことができました。

その2週間では、自分よりひとまわり以上でかい選手とのプレイにビビったり、全く言葉が通じない状況に戸惑ったり、とにかく日本にいた頃にはできない経験をたくさんすることができました。同時に、これまでには感じたことのなかったホッケーの楽しさを味わいました。

滞在期間中は、U20 Kladnoのスケジュール全てに帯同させてもらっていました。練習や試合にも出させてもらい、ますます海外でホッケーをすることの喜びを感じる毎日でした。

そんなこんなでチェコ滞在期間はあっという間に終わりを迎えました。日本帰国が目前に迫った時、当時のチームの監督に呼び出されました。何かと思い話を聞くと「うちのチームに来ないか」という趣旨の話をされました。これは、正直僕は全く予想していませんでした。まさか、U20チームから声をかけてもらえるなんて思ってもいませんでした。

この時、どのように自分が返事をしたのかははっきりとは覚えていません。でも、自分の心は、監督から質問された時点で決まっていました。

「絶対に残る」

そこには一寸の迷いもありませんでした。なぜなら、この機会を逃せば、間違いなく次に海外に行くチャンスはやってこない、と直感で感じたからです。監督と話した後すぐに、母親に電話し「残りたい」という意思を伝えました。

結局その後一度日本に帰国し、家族、学校の先生など、様々な方と相談を進め、同年秋より、単身での本格留学を開始することになりました。

もし早実に入っていなかったら、こんな話は間違いなく出なかっただろうし、もしかしたら僕はいまだに海外に出ていないかもしれません。

実際この時、すんなりチェコを選べたのかというと、実はそうではありません。口では「行きたい」と言っていたものの、本当に早実を辞めていいのか、先のわからないチェコに全てをかけていいのか、という思いはありました。実際に渡欧してからも、最初の数週間はその思いは消えていませんでした。

「本当に高校を離れちゃったけど、俺の人生大丈夫なのか?」
と不安になることはたくさんありました。

でも、この時に海外で挑戦を続けると決心したからこそ、日本にいたら絶対にできなかった経験をたくさんすることができました。

結局、その時は不安の気持ちがあったとしても「自分なら大丈夫、絶対に大丈夫、なんとかなる」と自分自身に言い聞かせ続けることで、全てを受け入れる覚悟も築かれていったのだと思います。

もし僕が早実に残ることを選んでいたら、もちろんその道もきっと楽しいものになっていただろうけど、今のキャリアは確実に存在しません。チェコに行ったことで、自分の人生が本当に大きく広がりました。間違いなく、自分の人生の中で最も大きく、最も困難な決断だったと思います。

アメリカ挑戦の決断

チェコでは、約2年プレイしました。その間、基本的にはU20チームでプレイしていましたが、日頃の活躍が評価され、何回かシニアチームの試合にもコールアップしてもらうことができました。

また2年目のシーズンが終わった時には、なんとしなぁチームからプロ契約オファーももらうことができました。当時の私にとっては、願ってもない、最高のチャンスです。何より、この瞬間のためにチェコに来たと言っても過言ではないものでした。

しかしそれと同時に、もう一つの選択肢が自分の中にありました。それは、アメリカへの挑戦です。チェコのチームからプロ契約オファーをもらったタイミングと同じくして、アメリカのU20トップリーグのチームに挑戦できる機会も頂くことができました。

チェコに残るか、アメリカに行くか。

ここでも僕は、新しい環境を選ぶことにしました。最大の理由は、自分がもっと成長できると思ったからです。NHLに行きたいのであれば、本場北米でプレイすべきだ、と考え、初めての場所に飛び込みました。

アメリカに来てからは、それはそれで苦労の連続だったのですが、ここで書き始めると永遠に文章が続いてしまうのでここでは割愛しますが、結果的には、その時アメリカを選んだからこそ、今度はNCAA D1(アメリカの大学トップリーグ)でプレイする機会を得ることができました。

もっと先の話でいうと、大学4年目を終えた後に、もう一年大学に残るか、プロ転向を目指すかの選択肢があった中で、先の見えないプロ転向を選択したからこそ、今のチームでプレイすることができています。

最後に


全ての決断の背景には、周りでサポートしてくれていた人たちの存在があります。どんな時も、自分1人では実現できないものばかりでした。

でも、最終的に「この道に進む」と決めてきたのは、いつだって自分です。
早実に入った時はまさか自分がチェコに行くなんて思わなかったし、チェコに行った時はまさか自分がアメリカの大学に行くことになるなんて思いもしませんでした。

全ては、節目節目で自ら下した決断によって生まれてきた道でした。

つまり何が言いたいかというと、もし迷った時には、難しそうな方を選び、そこでもがき続けることで、当初は予想もしなかった新たな道が現れる、ということです。

この、「選んだ後に、もがく」という部分がポイントです。

難しそうな方を選ぶことは決して簡単ではありません。選ぶこと自体も大変だし、選んだ後はもっと大変です。そこには険しい道が待っています。

ただ、その中で毎日自分が全力を尽くしてチャレンジを続けていくと、本当にいつしか、急に目の前に、次のステップにつながるルートが現れたりします。とにかく全力を尽くすことがとても大事になります。

その瞬間だけで見れば、上手くいかないことによる後悔などが浮かんできてしまうかもしれませんが、それはある意味、適応のチャンスです。

「この場で当たり前に戦えるようになったら、どれだけ強くなれるんだろう」と考えると、僕はとてもワクワクします。それが成長だと思います。
決断のとき、難しい方を選んできたことで、自分の人生は大きく変わってきたと思います。

僕が言いたいのは、難しい方を選んだ方が偉い、ということではありません。大事なのは自分の思いに正直になること、そして自分の選択に対して責任を果たすことです。

選択は、とても難しいことです。なぜなら、その場で正解を教えてもらえるわけではないからです。つまり、自分が選んだ道を正解にしていく必要があります。

覚悟を決める、というのは一見大変なことのように思いますが、決めてさえしまえば、その後は、ある意味とても楽になります。

全ての判断基準が自分の「覚悟」になるからです。余計なことを考える必要は無くなるし、何より、迷いのない状態になります。

どちらかを選ぶことは、決して簡単ではありませんが、僕は今後も、難しそうな道を選び続けたいと思います。

最終的に自分の人生を決めていくのは自分自身だと思うので、そこは強い意志を持って、今後も決断をしていきたいと思います。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

三浦優希

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?