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ご縁の不思議、人間の不思議

さまざまな奇譚きたんを集めた西鶴さいかく「諸国はなし」には身分違いの悲恋の短い物語がある(巻四の二、忍び扇の長歌ながうた)。武家大名のそれは美しい若い姫君と、「女の好かぬ」醜い男とが宿業ともいうべく結ばれる。当時の封建家族制度にあっては身分を越えた恋は不義とされ、男は切腹、女は幽閉と厳罰が下されたというが、しかし西鶴はなぜこのふたりが結ばれたのかは書いていない。ただ一言、「縁は不思議なり」とある。

ご縁があったなかったと、今では結果ありきの当たり障りない決まり文句になっているが、でもこの背後には、理屈ではどうにも説明できないものが働きかけており、古来から人はこれを縁といっては身を任せてきたのだろう。願ったところで果たせなかったり、一方では期せずして訪れたりと、日頃の生活のなかでもよく感じるものである。

この男が切腹させられたのち、身分高いこの姫は自害を迫られ、縁についてこのように見事に言い放っている。

我命惜しむにはあらねども、身の上に不義はなし。人間としょうを請けて、女の男只一人持つ事、これ作法なり。あの者下々したじたをおもふはこれ縁の道なり。おのおの世の不義といふ事をしらずや。夫ある女の、ほかに男を思ひ、または死に別れて、後夫ごふを求むるこそ、不義とは申すべし。男なき女の、一生に一人の男を不義とは申されまじ。又下々を取り上げ、縁を組みし事は、むかしよりためしあり。我すこしも不義にはあらず。その男は殺すまじき物を。(下々=身分の低い者)

縁は不思議なり。いや、それを感じ取り確信する人間の不思議。

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