蝶を追いかけた男、ナボコフの自伝を「追う」
古き佳き帝政ロシア末期、ペテルブルクの貴族だった幼年時代、続いて1905年に始まり1917年の十月革命によって亡命を余儀なくされたナボコフの自伝「記憶よ、語れ」。"記録"など不要、作家の正確きわまりない"記憶"の再生に驚嘆しながら、言葉のあとを追う。
しかしそこにはナボコフその人の姿はない。あるのは家族の肖像、数多の家庭教師の消息、生きとし生けるものへの静かな眼差し、死して滅んでいくものへの慈しみ、ナボコフが鮮明に記憶したそれら回想が呼吸を蘇らすように綴られている。
映画化された「ロリータ」で一般に知られているが、しかしこの自伝では祖国を追われ、革命と第一次大戦を経たのち、ナチズムの嵐と祖国ロシアへの愛国との葛藤に揺れた作家の心情が、感傷やノスタルジアを介することなく、きわめて美しい文章で淡々と刻まれている。失われたロシアのひび割れた大地をひとこと一言丁寧に縫っていくかのような文章は、精密なカメラアイのように透徹だ。
祖国を失った喪失の亡命作家ナボコフ。一方では蝶や蛾など鱗翅類の高名な研究者でもあった。その逸話はここでもたびたび顔を出す。父親を演説中に暗殺され、年子の弟を収容所で亡くし、年老いた母親を残し、理想の蝶を追い続けた作家は、戦前ニューヨークに逃れた。
私はロシア語を解しないゆえ、素晴らしい翻訳に頼りながら、ナボコフが見た歴史、ナボコフが見た風景、ナボコフが夢見た文学、蝶のようなその姿を死後半世紀が経ったいま、捕獲網を両手にもち、夢のなかで追っているような気がした。それでも、そんな追従など許さぬ文体と語彙の息遣いに、孵化する前の世界で唯一のナボコフ蝶のつかの間の変遷の過程を見る。
ひらひらと揺らめいた飛翔の軌跡。その燐光の代わりに、ナボコフの言葉の轍をひとり追う。
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