ゴールデンカムイの最終回描写と「ゴールデンカムイ展」~学芸員資格持ちの美術史院生が考察してみた〜
2022/06/01 追記1
最終回の「博物館」描写
和人が選び、集め、公開している 博物館の「アイヌ展示」
何故最終回の「博物館」描写が批判されているのか? 私は長いこと理由が分かりませんでした。
私は博物館学を学び、学芸員資格を取得しています。
現在は修士課程で美術史を学んでいます。
おそらく、マジョリティのつくってきた「博物館学」の伝統に、飲み込まれていたのでしょう。
博物館学の教員が、決まって嫌っていた言葉があります。
「これはもう博物館行きだ」。
政治家が、古くさい、時代遅れ、無用の長物という意味合いで発言したそうです。
「博物館行き」という言葉には、モノの命の終焉の地、時間を越えたモノの貯蔵庫、そういったニュアンスも含まれています。
しかし近年、収集、研究、展示という博物館の営みが決して超歴史的で中立なものではなく、その時々のものの見方、思考様式と密接に結びついたものであることが自覚され、そこにある問題点と可能性が追及されはじめました。
一方で、現在でもそのような認識の方々がいることもまた確かです。
「博物館に収蔵されている」という描写は、アシリパさんが目指した「文化の保存」ではなく、きつい言葉になりますが、「過去」となった証だと受け取られかねません。
アシリパさんは博物館での保存ではなく、また博物館で教授されるものでない、日常に根付いた、生きた伝統を残したいと考えていた、と私は感じていますが、博物館に「展示」されるということは、日常との隔絶を意味することもあります。
ここでは、「博物館に収蔵され保存されてきたものもあるが、生きた伝統も伝わっている」、といった描写が、アシリパさんが目指したことだったのではないでしょうか。
また、アイヌの人々が積極的にアイヌの博物館を建てようとしたり、アイヌの民具を寄贈したわけではないことが判明しています。
同化政策により生活に苦しんだアイヌの方々が断腸の思いで、形見や代々伝わってきたものを、和人に売ったものや、和人が研究目的でアイヌの方々に新品を製作してもらい買い取ったものがほとんどだということです。
和人が選び、集め、公開していることが、現在のアイヌ展示の根幹にあります。
ここで重要なのは「和人が」主体となって博物館展示をしていることです。
現在のウポポイ等にはアイヌにルーツを持つ方々が勤めていらっしゃいますが、明治期の博物館学ブームにおいては、和人が主体であり、アイヌの方々は「研究」され、「展示対象」となっていました。
明治36(1903)年の第五回内国博覧会の学術人類館において、ハワイ、インド、台湾、朝鮮、琉球、アイヌの七つの少数民族の方々が、それぞれの日常生活や歌舞音曲などとともに「展示」されていたことも、歴史としてあります。
「博物館に残っている」ことを肯定し、良しとし、また博物館内での歌や踊りの教授も良しとしている最終回の描写は、野田先生にとっては「残っている」という純粋なポジティブ表現なのではないか、ということが、読売新聞社が行った野田先生への取材で読み取れます。
「僕がこの作品に携わることでひしひしと感じたのは、アイヌ文化を守るために協力した和人も多かったことです」と野田先生は発言されています。
しかしそれは、和人がアイヌを「研究対象」としてきたことを、和人が「アイヌ文化を守るために協力」したと言っていることに近く、問題があります。
「歴史修正主義」という単語がツイッター上で散見されますが、それに近しい行為です。
問題を矮小化するとともに、事実から目を背けています。
「ゴールデンカムイ展」
「作画資料」としての展示
ゴールデンカムイ展では、当時の本物の肋骨服が「鶴見の軍服」、当時の第七師団の軍装服が「月島の軍服」、実際の軍刀が「鯉登のサーベル」と説明されて展示されます。
しかし、来歴や制作・着用・使用年代、元の所有者等の、「博物館」的なキャプションと言えるものはなにひとつなく、作者コメントとキャラクター紹介がかたわらにあるのみです。
また、キャラクターの紹介スペースにて展示されているため、まるでただの「作画資料」であるだけのように見えてしまいます。
実際の旧日本軍の軍服や軍刀を見ながら、来場者がそのように認識するよう導くキャプションが全くありません。
展示された軍服や軍刀には現実の持ち主がおり、現実の戦場で用いられ、殺人に用いられた可能性もあります。
戦争に使われたかもしれない、または戦争のあった時代の、戦争を想起させる物品に対して、あまりに無神経で、必要最低限の情報さえも載せられていません。
また、どのような文脈で、作者が所蔵するに至ったのか、それすらも不明です。
しかしこれは、「ゴールデンカムイ展」のみの話ではありません。美術館においては、作品の作者名が必ず明記されますが、民俗学等の博物館においては、民族名や地域名のみが記され、個人が前に出てくることがないのです。2022/06/01 追記1
展示の基本形態 「提示」と「説示」
博物館の展示の基本形態として、「説示」があげられます。
「説示」とは、博物館の基本機能である情報の伝達、すなわち教育機能を果たす展示形態です。
それに対して、「提示」があります。資料が内蔵する学術情報を的確に伝えることが出来ず、思想性や学術情報の介在が皆無であるがゆえに、見学者にはなにも伝わらないことが一般的です。
「提示は晒し」という言葉もあるとおり、何も生み出さない展示形態です。
今回の「ゴールデンカムイ展」の展示形態は、「提示」です。
私論になりますが、「博物館は知識への扉を開き、その道筋を照らす光となる」ところであると考えています。
これは、博物館に限らず、地域の公民館や図書館などにおける無料展示についても同様だと考えています。
ましてや、「ゴールデンカムイ展」と「展覧会」を称しているならばなおさらです。
「ゴールデンカムイ展」における「キャプション」
前述の通り、「ゴールデンカムイ展」において「キャプション」は、実物の資料を前にして、現実と結びつけることをしない、矮小化させる、「キャラクターの持ち物紹介」です。
展覧会側がつけた説明と、野田先生のコメントの両方がついている資料もあります。
「キャラクターの持ち物紹介」だけであっても、問題ですが、特にアイヌ文化の資料において野田先生のコメントにおいて差別意識が顕在化しています。
特にそれが顕著なのが、チカパシのつけていたニンカリの説明です。
1899年の北海道旧土人保護法の施行により、だんだんとアイヌ文化が禁止されていきました。それより前の1876年11月に、耳飾りと入れ墨禁止を承知した誓書を、開拓中判官に提出しています。
『ゴールデンカムイ』の舞台は1905年以降であり、そのときにはニンカリは禁止になっていたはずです。
そして、ニンカリを禁止したのは和人です。
和人が禁止したニンカリをしているアイヌの男児を自ら描き、彼を「不良」と呼ぶことは、キャラ付けなのかもしれませんが、あまりに無神経で、敬意に欠けています。
また、「ゴールデンカムイ展」とは離れますが、アシリパが適齢期にもかかわらず、口元の入れ墨をしていません。
1871年10月に入れ墨禁止令が日本政府によって出されています。
入れ墨をしない女性はカムイの怒りを買い結婚できないと信じられていたことから禁止令はあまり効力を発揮しなかったとの研究もありますが、こちらも和人が禁止した入れ墨をしないことを、そういった背景の説明もなしに、アシリパ本人に「私は新しいアイヌの女だから(入れ墨をしない)」と言わせています。
これも、「新しいアイヌの女」であることを強調したかったのかもしれませんが、敬意に欠けています。
展示の役割
展示は、人間社会における種々の活動の中で過去においても現在においても介在する行為です。
新たな知識への学びの扉を開くことをせず、間違った知識を与えることは、決してあってはならないことだと考えています。
「ゴールデンカムイ展」は、「ただの漫画の展覧会」です。
そんなに目くじらを立てることはないのではないか?
そう思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、「ただの漫画の展覧会」が及ぼす影響が、今回はあまりにも大きすぎるのです。
我々今を生きる人間が、過去、そして今現在も続く問題に対して、どのように向き合っていくか。
それは、矮小化することではなく、ましてや見なかったことにするでもなく、悪は悪として認識し、問題解決に導くことでしょう。
博物館は、過去を資料という形で展示することで、その道筋を示す一助となる機関です。
漫画監修の役割
『ゴールデンカムイ』に、アイヌ語・アイヌ文化研究者の中川裕氏が監修として関わっていることは、皆さんご存じでしょう。
しかし、中川氏のインタビューでは、中川氏が提案することはなく、野田先生に聞かれたことを答える、といった監修の形であったことがわかっています。
果たしてそれは、「監修」の役割を十分に果たしていたのでしょうか?
アメコミ作品では、漫画でありながら巻末に解説が載っている作品もあります。
アイヌ文化という、いまだ日本では周知に乏しく、またセンシティブな内容を取り扱った漫画として、『ゴールデンカムイ』の巻末に解説を載せることが出来たのではないでしょうか。
また、巻末解説でなくとも、コラムといった形で巻中に数頁ほど監修者が寄稿している漫画作品も、数多くあります。
しかし、『ゴールデンカムイ』では、中川氏が巻中に寄稿したことは一度もありません。
また、「ゴールデンカムイ展」において、大日本帝国陸軍の実物資料を扱ったにもかかわらず、専門家は監修していません。
軍事アナリストが監修していますが、アナリストは研究者ではありません。
そういった、監修の力が及ばないところが数多くあったために、現在『ゴールデンカムイ』という作品や「ゴールデンカムイ展」が問題視される原因になっていると考えられます。
専門家でないひとが行うことには、限界があります。
かくいう私も、西洋美術史が専門の修士課程の一学生です。
文章を書く訓練もしている最中です。
アイヌ文化の専門家でもありませんし、上述の通り、学芸員資格を取得するために博物館学を学んだだけの、博物館学を専門的に修めたと言えるかもあやしい立場です。
しかし今回は、美術史学、博物館学に片足を突っ込んだ者として、声をあげました。
また、現在は修士論文を執筆しながら、アイヌ文化における「民芸」呼称について疑問を持ち、趣味論文を構想しています。
長くなりましたが、私は『ゴールデンカムイ』という作品が大好きです。
だからこそ、今回は声をあげることを選びました。
好きだから、目をつぶるという選択をしたかたも多くいらっしゃることと思います。
しかし、いま一度、『ゴールデンカムイ』で得たこと、得られなかったけれど知るべきであることを、自覚していただく契機となれば幸いです。
追記
追記1 2022/06/01 民族学において、資料に個人名が明記されないことは、民族学という学問の性質であり、意図して明記しないわけではない、とご指摘いただきました。「ゴールデンカムイ展」において、大日本帝国陸軍の資料に来歴等のキャプションが付されていないことと、民族学の資料について混同した記述になっていました。よって、この文言を削除いたしました。
参考文献
・宮武公夫『海を渡ったアイヌ 先住民展示と二つの博覧会』岩波書店、2010年
・青木豊『集客力を高める博物館展示論』雄山閣、2013年
・国立歴史民俗博物館編『歴史展示とはなにか 歴博フォーラム 歴史系博物館の現在・未来』アム・プロモーション、2003年
・国立歴史民俗博物館、安田常雄編『歴博フォーラム 戦争と平和 総合展示第6室〈現代〉の世界1』東京堂出版、2010年
・渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』洋泉社、2010年
・多原香里『先住民族アイヌ』にんげん出版、2006年
・山田朗ほか編『平和創造学への道案内 歴史と現場から未来を拓く』法律文化社、2021年
・市川守弘『アイヌの法的地位と国の不正義 遺骨返還問題と〈アメリカインディアン法〉から考える〈アイヌ先住権〉』寿郎社、2019年
・北大開示文書研究会編『アイヌの権利とは何か 新法・象徴空間・東京五輪と先住民族』かもがわ出版、2020年
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