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心に思うことがあるから言葉になる。

本を読むときに。
読んだ内容を覚えていないと意味ないよなぁって思い、「本の読み方」みたいな本を読んでた時があった。
本を読むことを最大限自分にプラスにするにはどうしたらいいんだろうって。

わりと共通して書かれていたことは「アウトプットをすること」。

・印象に残った個所に線を引く
・メモをとる
・感想をまとめる
・書評(レビュー)を書く
・人に話す

…などなど。
アウトプット前提でインプットしよう、ということですね。

あとは「読む前に目的を決める」も書いてあったな。
本を手に取る時って、何かわからないことや解決したい悩みがあるからだろうと。では何を解消したいのか、はっきりさせてから読み始めたほうが得られやすいよと。

なるほど~と思って、実践してました。

自分がいま悩んでいることってなんだろう?と整理してから読みはじめ、読んでいる間もメモをし、読み終わった後に感想をまとめ…と律儀にやりました。アウトプットしたものたちは、確かに残ってる。

でも。

あぁ、疲れる。

しかも、アウトプットしたものたちを見返すかと言ったら、、、
メモしながら読むからめっちゃ時間かかるのに。苦労してまとめてるのに。それでもあまり見返すことはない。
おおぅ、結局読んだ意味なくなってるじゃん。

上に挙げたようなアウトプットの方法は正しいし、理にかなってるし、それ自体を否定しているわけでは全くない。ただ、それが「自分に合うかどうか」は別の問題。

わたしの場合は、「読んだ後にアウトプットしなきゃ」が義務感のようになってしまって、本を読むことそのものを楽しめず、プレッシャーに。だからだんだん、本に手を伸ばす機会が減っていく。それって本末転倒だよなぁ。

もう何度も紹介している、阿部広太郎さんの「心をつかむ超言葉術」。これを読んでから、本の読み方が変わった。

つまり、心に思うことがあるから言葉になるし、言葉を探すし、言葉を選ぶ。そして時に人は言葉を新たに生み出すのだろう。心の種さえあれば、言葉は後からついてくる。逆にもしそこに心がなければ、言葉が並べてあったとしても、中身はスカスカでむなしい気持ちになる。

わたしはおそらく、心がないまま無理やりアウトプットしていたのだ。だからアウトプットした言葉たちを見ても何も感じないし、自分の心にも残ってない。

逆なんだ。自分の心に何か思うことがあったり、心に種が生まれれば、自然にアウトプットしたいと思うはずなんだ。「アウトプットしなきゃ」で始める読書はわりとしんどかった。だから、何か思うことがあればアウトプットしよう、と考えてみればいいんだ、と。

こう思うようになってから、本を読むことへのハードルがぐっと下がった。読んでいて、印象に残った個所があれば書き残しておく。でも、書き残すことそのものを目的にしない。

もし読み終わって何も思わなかったら、何も感じなかったら、それはそれでいいじゃないか。そういう本だったんだな、と思って次に行けば。それは失敗でもなんでもない。

その本が悪いわけでも私が悪いわけでもない。本との相性やタイミングなのかなって。もしかしたら別のタイミングで読んだら、違うことを感じるかもしれないし。全然違う心境の時に手に取ってみてもいいかもしれない。

「アウトプットしなきゃ」というプレッシャーがなくなると何がいいかって、自分の心の動きに集中できることだと思う。

「めっちゃわかる!」という共感もあるし、「うーん、この考え方はどうかなぁ…」というモヤモヤもある。そういう微妙な心の揺れを感知しながら読み進められるのは、わりと楽しい。

そして自分の心の動きに集中できるということは、同時にその本にきちんと向きあえているということなのかなと、思ったりもする。

その本の著者さんが何を伝えようとしているのか。それを感じようとしないまま、アウトプットを先行させているのは、考えてみたら失礼な話だ。

あぁ、結局は本に向きあえていなかったから、アウトプットしたものたちも中身のないものになってしまってたのかもしれないな。

本に書かれていることをじっくり味わおうと臨めば、自然と感じることもあるかもしれない。過去に読んだ本も、もう一度読み返してみようかな。

もう一つ、本を読むことのハードルに「1回でモノにしないといけない」「覚えなきゃいけない」という前提もあったような気がする。

子どものときの学習方法が、特に受験勉強のやり方が、やはり沁みついているのだろうか。覚えろなんて誰も言っていないのに。
そして読み返したいと思えば、いつでも、何回だって読み返すことができるのに。

むしろ大事なのは「読み返したい」と思うかどうかだ。
しっかりその本に向き合うこと、自分の心の揺れに集中することで、「もう一回読み返したい」という気持ちを残すことができるのかなぁと思いました。

「アウトプットしなきゃ」というプレッシャーは、読書以外にもあてはまる。
たとえば何かのイベントや研修会に参加したとき。
今はオンラインのものも増えていてアーカイブも残っているので、わりとよく見るのです。が。

聴いている間もメモをカタカタ。重要そうなキーワードを言ったらまたカタカタ。でも終わって何が印象に残ってる?と聞かれるとうーん、、、

もうやめよう。このやり方は。

集中すべきは今、目の前にいる人だ。
そしてその人が話している言葉そのものに価値があるんだ。

そんなわけで、今日はここまで。

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