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書くことって、やっぱり偉大だ。
今日のnoteは中身がない。
本当は書きたかったことがあり、いったんダーッと書き進めていた。今、心がざわざわしていること。公開しようと思って書いていたが、もろもろの事情でやめた。うまく言葉にならなくて。
だけどやっぱりnoteに向かいたい、物理的に更新が難しい日以外は何かしら文章を書いて公開したい想いがあり、こうして書いている。だけど中身がないことは見えている。
毎日書いていると、その日心に浮かぶことがある日と、ない日があることがわかる。それは自然なことなんだろうけど、心に浮かばない日は正直何を書こうか、パソコンの前でぼーっと考えてしまう。
ぼーっと考えを巡らせていくと、ぽんっとあることが思い出されたりする。
昨日もそうだった。「好き」ということについて書くつもりはなかったけど、youtubarさんがいつも楽しそうに好きを教えてくれるから、それが心に残っていたのだろう。気づいたら書き出していた。
アウトプットする環境に強制的に身を置いているように見えるかもしれない。でもそうではない。「アウトプットしよう」とは思ってないのだ。
何かあったっけな~とあれこれ考える時間は楽しい。それで出てきたら書く。出てこなかったら「出てこない」と書く。
今はあくまで自分のために書いているから、この書き方でいいと思っている。
日によっては起きたできごと、誰かから聞いた話、「へえ~!」と心が動き、すぐに書きたいと思うときもある。ただ「書かなきゃ」いけないわけではない。
いざ書く時間になって、書きたいと思えば書けばいいし、書きたいと思わなければ書かなければいい。
「本の読み方」みたいな本に、インプットしたことはすぐにアウトプットすること、確か短期間に3回何かしらの手段でアウトプットすると記憶に定着する、と書いてあった。
正直にそれを実践したところ、疲れてしまった経験がある。(あれ、以前にも書いた気がするぞ…)
アウトプットは「すべき」ものではない。したいと思ったときに自然にするものだ。
心に残るできごとがあっても、そのタイミングで出したいと思えないのは、きっとそれも何かのタイミングで。心の中であたためておいて、何かの機会にぽっと思い出されたり、別のことと結びついたりするかもしれない。
書こうと思って書かない。
心にあることを出すのだ、と思う。
その手段が「書く」というだけ。
あれ、中身ないと思ったのに意外と長くなってしまった…
大事にしたいと思うことを、改めて言葉にできてよかった。
そして書くことで、心のざわつきも少しおさまりました。
全然関係ない話題なのに。
書くって偉大すぎる。
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