「もう一人の自分」と、うまくつきあっていこう。
ふと考えたことがある。
どうして自分を否定してしまうんだろう。
どうして良くないところばかり目に入ってしまうんだろう。
これは落ち込んでいるわけじゃなく、シンプルな疑問として。
どうしてそうなってしまうんだろう、と考えた。
それで、わかったことがある。
「客観性がありすぎる」からではないだろうか。
本来、自分は一人しか存在していないはずなのに、「もう一人の自分」という表現がある通り、2人以上存在しているような感覚をもち、「もう一人の自分」として「自分」をじっと見つめる。
そして隙あらば、ダメ出しをしている。これが、自分を否定している状態。
他人の長所よりも欠点の方が目に入りやすいとはよく言うが、それと同じ。客観的に見ているから、欠点の方が目につく。
「もう一人の自分」として「自分」を見つめることは、悪いことではない。客観性があるからこそ、見えることもある。
冷静になって、内省もできる。
ただ、見えすぎるからこそ苦しくなる。今は見なくていいようなことまで、見えてしまう。
自分を見つめる視点を柔らかくできるといいんだろうなぁ。「監視」じゃなくて「見守り」くらいがいいよね。
もう一つ、気がかりなことがある。
「もう一人の自分」視点でいる時間が長くなりすぎると、「自分」視点が忘れ去られてしまう。
主体としての自分は、何を見つめていたんだろうか。
自分の興味の方向や、考えていることが、わからなくなってしまう。
これはわりと、怖いことだ。
そういうときは、「もう一人の自分」にお休みしてもらおう。今は見守られなくて大丈夫、休んでていいよ、って。
そうして「自分」の視点を取り戻す。
もっと「主観的」になる時間を増やす。
客観的にどう見えるかどうかはさて置き、自分からは何が見えていて、どうしたいのかを大切にする。
主語はあくまで「自分」にある。
「もう一人の自分」にあるわけじゃない。
「もう一人の自分」。
それは決して、敵じゃないはず。
でもつきあい方を間違えると、自分を追い込む存在になってしまう。
主観と客観、バランスよく持ち合わせられる人でありたいなぁ。
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