書き手も読み手も多様だから、一人に届いたらもうすごい。

noteを公開してから一番反応をいただけるのは、その日か、翌日だ。つまり公開してから日が浅いほど、人の目に触れやすい。反対に、時間が経つほど触れにくくなる傾向にある。

でも日が経っても、けっこう前のnoteでも、読んで反応をいただけることがある。それが嬉しい。

通知が来ると「あ、これ読んでもらえたんだ」「この方はこれを気に入ってくださったのかな」など、いろんな方が、いろんなnoteを見てくださっていることがわかる。

公開当初は反応が少なかったnoteも、ポチッと反応が来ると、見つけてくださりありがとうございます、という気持ちになる。文章って蓄積していけるからいいよね。一度書いたら、なくならない。


読まれ方を見ていると、人によっていいな、好きだなと思えるnoteは本当に様々なんだな、と感じる。
自分に置きかえても、そう感じる。

スキ数がめちゃくちゃ多いnoteを見ると、きっとすごい内容なんだろうなとついつい読みたくなる気持ちになるけれど、反対にスキ数が少なくても、自分が好きな、自分に刺さるnoteとの出会いはある。

「多く読まれる必要はない、たった一人に刺さればいい」という内容のnoteを以前見かけたことがあって、その意味がわかってきたような気がする。


書き手も読み手も、みんな多様だ。
多様だからこそ、全員に届くということはない。
全員に届く文章なんて、きっと書けない。

だから、誰か一人でも「いいな」「好きだな」と思ってくれたらいい。
というか「一人でも」とか書いてしまったけど、一人に届くことだって十分すごいことなのだと思う。


今日、こちらのnoteでご紹介いただいた。

雷に打たれたみたいだった。

私が書いた文章を読んでそう感じたと、書いてくださっていた。正直、めちゃくちゃ嬉しい。

私は人前で話すとき、雷を与えるような、ぐっとくる言葉を発せられるタイプの人間ではない。
ときどき、力強い言葉を用い、惹きつけるプレゼンテーションを聞くと圧倒させられる。
こういった話し方は、私にはできないなと。


でも文章では、読む人の心に何かぐっとくるものを残すことができるんだ。

もちろん多くの人に…と考えるときりがないけれど、先に書いたように、一人でもこうして強く感じてくださる方がいるってことが、すごいこと。


この嬉しさを力に変えて、これからも自分にしか出せない言葉を生み出して、紡いでいきたいなと思います。


Chiaki*さん、ありがとうございました。


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