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自分で答えを出し続ける。

どんな物事においても「絶対的に正しい答え」は存在せず、自分自身が考えて出した答えが、「その時の自分」にとって一番正しい答えになる。

noteを連続して書いていると、以前に自分が書いたことと矛盾しているかも?と気になることがある。

整合性がつかないというか。
「こないだはああ書いてたよね」と、つっこまれるような気がするというか。

自分が書いたことは(だいたい)覚えているから、「こないだはああ書いたから、こう書かない方がいいかな」「つながりとしてはおかしくないかな」と妙に気にしてしまい、筆が進まない。

一貫性がないことを指摘されるかもしれないことを、恐れてるんだ。


でも、きっと読んでくれてる方はそこまで気にしないよね。笑

それに、以前に書いたことから自分の主張が変わったとしても、それは「変わった」もしくは、「光の当て方が違う」だけ。

「いま、そう思っているんだ」という「その時点」での自分の主張は、全部正しいし、誰に否定されるものではないし、自信を持って伝えていい。

あるテーマについて一度書くと、ひと段落ついたような、終わったような感覚になることがある。

「考えた」
そして「書いた」
そして「一定読まれた」、と。

確かに、自分の思考は一つ進んだ。
「こうかなぁ」とわかることもある。

でもそれは終わりじゃなく、始まりなのかもしれない。

書いたことで、考えるきっかけが作れた。
自分なりの答えが出た。
本当に?と別の角度から問いを立ててみる。
また考える。
次の答えが出る。

その繰り返しなのだ。


そうやって考えを深めていく中で、自分が出す答えが変わる、矛盾や整合性のつかなさを感じる、ということは、むしろ自然なことだ。

いろんな角度から考えられている、という証拠かもしれない。

「あれ、どっちなんだろう?」と自分でも混乱はするけれど、混乱を恐れて考えをやめてしまうことの方がもったいない、きっと。


考えること、答えを出すことを、恐れない。



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