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今からシェアする人になればいい

書くことから少し離れても、いい文章に出会うと書きたくなる。


人に見せられないような格好で、今これを書いてる。お風呂上がりで超ゆるい恰好、頭はタオルでぐるぐる巻きだし。いつもならこのまま寝る準備に入るところで、さきほどシャットダウンしたPCをふたたび起動した。「衝動」なんて書くとカッコよすぎるけど、そういう感じ。私はいま、書く衝動に駆られてる。なんかカッコイイ。


いいなと思った記事をTwitterにシェアするのが最近楽しい。いい記事はいろんな人の目にふれてほしいし、書き手の方とコミュニケーションが生まれることも嬉しい。

これ、以前は少し抵抗があった。

広げられて嫌だと思う人もいるのかなとか、ちゃんとコミュニケーション取ったことないのにいきなりシェアするのは失礼なのかなとか、いい記事はきっと誰かもシェアするだろうし私がしなくてもいいかとか、いろいろ考えるとシェアしようとする手が止まる。

それに、昨日まで全然していなかったのにいきなりバンバンシェアし出したら変かな、とも思ったりしてた。

でもふと思った。

今からシェアする人になればよくない?

昨日までどうこうではなく、今から。

シェアされるのが嫌な人はTwitterと連携してないだろうし、私が自分の記事をシェアしてもらって迷惑と思ったことはない。むしろ読んでくれた、広げようとしてくれた、という気持ちを感じて倍嬉しい。

だったら人に対してもすればいい。あれこれ考えずに、いいものはもっともっと遠くに飛んでほしい。飛んでいったその先で、「ああいいなあ」と救われる人がいるかもしれない。

以前、山羊メイルさんのnoteに書いてあったことを思い出した。(いいこと書いてるなぁぁ…とコピペしてスマホのメモアプリにはってました。こっそり)

たのしい事、嬉しい事、たまたま乗り越えた景色、たまたま出会った美しい景色、たまたま出会った素晴らしいテキスト、それらに焦点を合わせることでその日一日は生き延びる事ができると思うのです。
僕はnoteを始めて良かったと思うことの一つに、noteの素晴らしい記事をTwitterで紹介できる。アナリティクスをみると今まで紹介したnote、最低でも「4人」リンクをクリックしている。
その「4人」に勝手に思いを馳せます。
いい記事でしょ。一日生き延びたよね。良かった。僕も生き延びたよ。
この世界は意外といいものなんだと。

※こちらから引用しました。

おおげさでなく、テキストに救われることは本当にある。

私もつい最近しんどいことがあったけれども、文章を読む中で少しずつ少しずつ、気持ちを落ち着けることができた。読んでいる間って「しんどい」を忘れられるんだよね。書いた人の思い、描かれている物語に気持ちが自然と向くから。読んだ後は少しだけ、現実のしんどさも減ってて。

昨日読んだ、ささいな笹さんのnoteも最高でした。

寝る間際に読んだからヘッダー画像が夢に出てこないかとヒヤヒヤでしたが、大丈夫でした。夢では逢わなかったです。

さささんの失敗談がリズムよく、テンポよく、ぽんぽんぽんぽん弾ける感じで、読んでいるだけで明るい気持ちになれた。明日をがんばろうと思えた。そういう文章ってすごいよね。


いいものはいい。
そしていいものはもっと多くの人に届いてほしい。

そういうシンプルな気持ちで、ためらわずシェアしようと思います。もちろんコメントもする。じっくりコミュニケーションとりたい場合はコメントのほうが適してるかなぁ。


そろそろ終わろう。
髪の毛がタオルの中でカピカピになってしまう。


余談ですが…
山羊さんとさささんを同じnoteで紹介させてもらうことはこれで2回目で。今回も自然につながったんだよなぁ。
私にとってはおそれ多いおふたり。でもこうして紹介させてもらえることに感謝です。ありがとうございます。




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