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ことばで、感情のとびらをあける。
昨日のnoteを書きながら、なぜ涙が止まらなくなったのか考えた。
書きながら泣くなんて、これがはじめてだった。
パソコンに向かうまでは、このことを書くつもりはなくて。でも何となく書き残しておかなきゃいけないような気がして。はじめは感情も落ち着いていて。でも書き進めるうちにおどろくほど涙が止まらなくて。起きたら目が腫れぼったかった。
感情のとびらを開けたのかな、と思った。
もともとは閉まっていたそのとびら。「がんばって開けないようにしていた」そのとびら。書くことで、ああやっぱりそう思っていたんだと、心の中にあったものが確かなものとなり、濁流のごとくあふれてきた。
書くってすごいな。
とびらを閉めて、ないことにしようとしていた感情を「ちゃんとあるよ」って気づかせてくれるんだ。そして忘れずにいさせてくれる。
無意識に感情のとびらを閉めてしまっていること、けっこう多いのかもしれない。うれしいと感じたのに「こんなことくらいで喜んでちゃだめだ」とか、悲しいと感じたのに「もっとつらい人いるから自分は大したことない」とか。
誰かや何かと比べて、感情のとびらをパタンと閉める。物音も立てずに、とても自然に。
これまで閉めたとびらは、いったいいくつあるのだろう。感じたことをそのまま受け入れることは、なぜこんなに難しいんだろう。みんな難しいのか、私だけなのか。
少なくとも書くことは、その練習にはなるのだと思う。閉めていた感情のとびらを開けて、出して、確かめて、受け入れる練習。それは紛れもなく「わたし」をつくっているもので、受け入れることで「わたし」がつくられていくとも言える。
昨日、書いてよかったな。
大切なことに気づけた。
これも祖母からのプレゼントなのかな。
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