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書き続けるといいことがあるよって、何度でも伝えたい。

私はいま毎日更新していますが、正直がんばっていません。たぶん、がんばっていたら続いていない。がんばることをやめたから続けられている、とも言えます。

がんばらずに毎日更新できるなんて皮肉を言ってるのかと怒られるかもしれませんが、そんなつもりは全くなく。純粋に、がんばらないから続けられている、と思っています。

がんばらずに続けられるまでに、確かにがんばった期間はありました。一つの記事に内容のあることを書かねばならないと一生懸命時間をかけて書き、今思えば大切な時間でした。でもそれを続けていたら、たぶん今まで続かなかった。


「○日間チャレンジ!」というものをよく見かけます。とても応援したい気持ちになります。でも、そのチャレンジが終わるとぱったり見かけなくなる方もいます。

取り組み方はもちろん人それぞれ。でも個人的には少しさみしくもあるのです。苦しい時期もあるかもしれないけど、続けていったら、もっといいことがあるのになって。だからがんばりすぎずに続けてほしいなと、おせっかいなことを思ったりします。

書き続けると、たくさん感じ、考えられるようになります。

一つの記事で考えられることは少ないかもしれません。でもそれが積み重なると、確実に感性や思考が磨かれていきます。点が連なり一本の線になるような感覚ですね。書き続けていると、それを不意に感じられる瞬間があって。

つながったと思った線は、もっと長い目で見れば点であり、続けていくことでまたそれが次の線になる。さらに太くて、丈夫な線に。


書き続けると、忘れません。
忘れても、思い出せます。

あたりまえでしょうか。でも、書き続けることで忘れることの多さに気がつきました。あっ、と思った次の瞬間には新しい情報が流れてくる世界。誰かの答えがあふれている世界。自分の感性は、気づかないうちにどこかへ流されてしまいます。

私はこう感じたんだ、こう思うんだ、ということを忘れない。書くということは、自分がどこかへ流されないために丈夫な足場をつくることなのかもしれないですね。その足場は、迷ったときの道しるべにもなる。


書き続けると、人と関わることが楽しくなります。

これは私にとって一番うれしい贈り物でした。コミュニケーションが楽しくなり、もっとコミュニケーションがしたくなる。自分の話もしたいし、相手の話も聴きたい。こう思えるようになったのはなぜかと考えると、一つめと二つめに書いたことがつながっています。感じ考え、覚えていることは、人に話したくなるのです。

共有したい。
わかってほしい。
そして、その人の考えも聴きたい。

話すことで、さらに自分の感性も思考も揺り動かされる。そしてまた書きたくなる。

最近、「うれしい」という感情によく出会うことに気づきました。人と関わることによって出会いやすくなった感情だと思います。

こうして、良いサイクルができあがります。

このサイクルを回したいなと思って書いてきたわけではありません。これは、書き続けることで私が発見したことです。つまりこれが、私なりの答えなのだなと思います。やってみる前には、わからなかったこと。ある程度の時間をかけないと、わからなかったこと。

他の人にあてはまるかはわかりません。これは私なりのストーリー。誰かには、誰かのストーリー。書き続ける数だけ、様々なストーリーが生まれるのだと思います。何が正解なのかは、人それぞれ。

確実に言えることは、書くサイクルが日常の中に根付いて、私の人生はとてもいい方向に向かっていると思えること。

それは「書く」という行為とは別のこと、たとえば仕事とか、友人関係とか、一人の時間とか、そういったものにも、いい影響をもたらしています。


いま、「書く」ということを何らかの理由で自分の日常に取り入れようとしている人がいたら、ぜひ続けてほしいと思います。

気張らず、焦らず、ちょっとずつでも。
短期的な効果を求めずに、長い目で見て。

得られることが、たくさんあると思います。




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