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書きながらもがく

何かを書きたいな。何を書こうかな。そう考えて30分くらいたってしまったので、とりあえず書き始めてみる。

毎日書いてたときに比べると、書きたいこと、伝えたいことが思い浮かばない。毎日書いていたからこそ、感じることや思うことが自然に増えていったのかもしれない。たまごが先か、ニワトリが先か。

じゃあ書かなくてもいいんじゃ?とも思うけれど、他の人が書いているのを読んだり、昔の文章を見返して、「何となく」書きたい気持ちになっている。でも書きたいのに書きたいことがない。おかしな話。

しぼり出して書いてみても、すっきり感、しっくり感がない。がんばって書いて読み返しても、いきいきしてない。

なんだろな、無理に書いてるって感じるからかな。伝えたいことがない(うすい、考えきれてない、本当にそう感じてない)のに、無理くり言葉を組み合わせてる感じがする。

昔のわたしが書いたnoteに、文章を書く目的は2つあるとあった。

1つは自分のため。自分自身の考えや感じたことを整理したい、残しておきたいと思ったときに書く。もう1つは誰かのため。誰かに伝えたい、届けたいことがあるときに書く。

今のわたしが書いているのは、どちらにもあてはまらない、中途半端な文章。

書くことっていいことしかない!と感じてるはずだった。感じ考えたことを整理できるし、残しておけるし、出しきるとすっきりするし、伝えたいことが誰か1人でも伝わったら嬉しいし、同じ思いや、違う思いの人と繋がれたら楽しいし。

そういう書くことの「良さ」を感じて、毎日書き、毎日書かなくなってからもほそぼそと続けてきたけれど、最近はその「良さ」を心から実感できていないまま、ただ書いてる感じがする。

それがダメなんて誰も言わない。続けているだけよし、とも思う。

でも、これまで書くことにだいぶ助けられてきた過去をふりかえって、今、書くことの良さを実感できていないことを悔しく思うし、「書く」ことや「言葉」に対して失礼なのかもと思う。ちゃんと向き合えていないというか、丁寧に扱えていない感じがして。

じゃあどうする?と考えると、どうしよう。
書かなくてもいいわけだし、書くことになんとかしがみついて、中途半端に書いたっていい。


そう思うと、「何かを書きたい」という気持ちがあるということは、何かしら現状を変えたいという気持ちがあるのかもしれない。

今の自分、今の生活よりも、もう少し楽しく、もう少し成長して、もう少し幸せに、という思いの表われなのかもしれない。

今が不幸せなわけじゃない。むしろ幸せを感じることのほうが多い。

でも、もう少しもう少し、よりよいほうへ向かっていきたいと心のどこかで思ってるのかもしれない。それがわたしの場合は「書きたい」という欲求にあらわれてて。


そうか、だったらこのまま書いてみてもいいのか。

自分のためにも、誰かのためにもなりきれていないかもしれないけど、「書きながらもがく」ということをたぶん今やってる。もがきながら、よりよいほうへ向かっていきたいと願ってる。だから、今の書き方もまずは自分自身が認めてあげよう。


やっぱりわたしは、少しずつでも、ゆっくりでも、書き続けたい。




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