たまにはひねくれた、ひとりごと

文章は十人十色。
日常を切り取れば、その人だけの物語になる。


…とは思うものの、自分の文章になるとめっきり自信がなくなる。書けば書くほど、読めば読むほど、自分の文章が陳腐で、ありきたりで、誰にでも書けるみたいに見えてくる。いやもちろん、いいねと言ってくださる方の言葉はシンプルに嬉しいし本当に励みになる。けれど時々うがー!となるときがあるんですよね。

これはむしろ、上達の表れなんだろうか。

私の文章けっこういいんじゃない?と思ってた文章を今読み返すと、恥ずかしくなるくらい下手くそに見える。でもその下手くそが当時は見えてなかったわけで、今それが見えるということは、多少なりとも磨かれたという見方もできるわけで。だからこそ上手な文章が、より光って見えるようにもなって。

十人十色だから良い悪いや優劣はない。けれど心をぐわっとつかまれる文章に出会えた時、「どうしてこんな文章が書けるのだろう…」と尊敬の念を抱かずにはいられない。同時に悔しさも。自分には自分にしか書けない文章があるとはわかってる。わかってるけれども。心をぐわっとつかむような文章を書けたらなと願ってしまう。

日常を切り取ったその人だけの物語。しかし一方的な一人語りだったら恐らくあまり響いてこない。何が心をつかむんだろう。どういうときに響いてくるんだろう。考えてみたらわかったことがある。

読み手との重なり、だ。
書き手の物語が、読み手の人生にどう重なるか。

似たような経験がある、もしくは逆に全く経験したことがない(から憧れや興味がある)という場合も「重なり」が生まれる。

ラジオ的に「その人の物語を聴いている」というよりは、「一緒にお話してる」という対話的な感覚で読んでいるときに、重なりを感じられ、結果心をぐわっとつかまれるのかもしれない。「わかるなぁ」「うんうん」「うわぁ、素敵」「そういえば私もね…」と話したくなってしまうような。

実際にはその場ではお話しすることはできないけれども、書いたことと読んだことが重なり合うことで、また別の物語が生まれる可能性が芽生える。生まれた物語が書かれて、読まれたら、別の誰かの人生と重なる。循環が生まれる。それってすごいことだなぁ。そういう文章が書きたい。

いやごめんなさい。私にもきっとそういう文章書けてるときもあると思うんです。あたたかいコメントいただいたりして。本当に嬉しくて。そういう言葉を否定したいわけでは決してないんです。ただただこれは、もっともっといい文章を書きたいという思いが、ちょっとだけひねくれて出ているだけなんです。書いたらすっきりします。うん、少しすっきりしました。


これも私なりの、日常を切り取った物語。



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