頑張らない、でも続ける。

一日の終わりに書く時間が、とても大切な時間になっている。

仕事で遅くなっても、疲れていても、自然に書きたいと思う。「書かなきゃ」じゃなく「書きたい」だ。こう思えるのはとても嬉しい。

それまでの自分とは切り離して、書く行為に向かう。書く行為に向かうことで、それまでの自分と切り離される時間ができる、とも言える。
書いている時間は、本当に何物でもないただの「わたし」になれる。


ただの「わたし」から発される言葉を、大事にしてあげたいと思う。

きっと書くことをしていなかったら、それらの言葉たちは行き場がない。ぐるぐるぐるとただ混ざって、溜まってゆく。

いろんな色がついていたのに、混ざったら何色だったのかもわからなくなる。混沌とした感情は少しずつ自分を圧迫する。


書くことは、今日の自分を受け入れることだ。
今日のわたしは何を思ったのだろう。それを、良い悪いという判断をすることなく、ただ受け入れる。

受け入れたからこそ、明日に向けてまた一歩、歩みを進めることができる。


人間はきっと、本能的には成長したい生き物なのだと思う。

今の自分をそのままそっくり認めて肯定できればOK!と思う一方で、それって現状維持なんじゃないか、成長を手放しているのかと問われたら、そんなことない、私だって成長していきたい、と思う。

どうして成長したい?と問われると、成長していく自分から見える景色は、きっと変わっていくんじゃないかと思うから。

今見えている景色が、今後どう変わっていくんだろう。それを見たいから、少しずつでも成長したいと思うのかもしれない。


だから1ミリでもいいんだ。
今日から明日に向けて、前に進むのは。

いきなり1メートルも5メートルも先に行かなきゃと思うとプレッシャーがかかるけれど、1ミリだったら今日よりも明日、明日よりもあさって…と、前に進むことができるかもしれない。

そうしてほんの少しだったとしても歩みを止めなければ、いきなりハイジャンプしたい日もやってくるかもしれない。


毎日1ミリ成長する。前に進む。
書くことは、この成長に貢献し得る。
今日の自分を受け入れて、明日の自分に希望を抱くことができる。


書くという歩みを止めないことで、自分がいま想像もつかない場所にたどりつくことができるかもしれない。

それはとても、楽しみだ。


最近読んだ小山薫堂さんの「明日を変える近道」という本に、こんな言葉が書いてあった。

頑張らない、でも続ける

続けることでしかわからないことは、たくさんある。

ずっと走ってなくていい。

歩いたっていいのだから、とにかく歩き続けてみよう。歩き続けることで出会える景色を、楽しみにしながら。




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