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こころを動かす文章との出会い。

いい文章を立てつづけに読んだ。どれも、心の奥からじわじわと熱いものがあふれてくる。感情が動いた。感動した。私が紹介するまでもないくらい有名で、もう多くの方々に読まれている。でも紹介したい。感動を自分の中に残したい。自分勝手な気持ちですが、、紹介させていただきます。

「28歳」/山羊メイルさん

28歳。若手でもなく、中堅というには若すぎるような、微妙な年齢。その心のうちが、BARでのできごとを通して、繊細に、複雑に、描かれていて。「情景が浮かぶ」という言葉でまとめるにはもったいないほど、でも情景が浮かぶ。頭にVRの機器をつけて、映像で見ているみたいな。

作業着で来たことを心底後悔する。Kを見ると腰で履いてるパンツを慌てて直す。ここで直すな。

こことかすごく好きです…わわっと慌ててパンツを直すKさん、おいおい、とつっこみを入れる山羊さんが見える。BARに慣れてないことを直接的に書かなくても、それがわかるってすごい。


以前、私のnoteを山羊さんに見ていただいたことがある。そのときに山羊さんからこんなアドバイスをいただいた。
(せっかくいただいたのに最近はちょっと頭から抜けてたなぁ…すみません。。)

この作業をしてみませんか。
淡々とした事実の積み重ねが説得力を生むのかもしれない。

・主観的な表現、同じ内容/意味の表現が繰り返されている。
・それをそぎ落とす作業

淡々とした事実。山羊さんの文章を読んでいるとその大切さが実感できる。上記のアドバイスもふまえてもう一回読んでみると、主観的な表現がほぼない。

ほぼないから、少しだけ出てくる「本当に楽しかった」とか、一番最後の文「どれも素敵な時間だったぞ」が活きてくるのだと思った。そこだけスポットライトがあたったように目がいき、心情に共感し、ぐっと残る。

もちろん文章の内容、種類にもよるのだろうけど、読んだ人の頭に映像が浮かぶためには、事実の描写が大切なのだと改めて気づく。


「広島のお好み焼き屋で大阪弁の天使に出会った話」/小野ぽのこさん

ぽのこさんは食にまつわるエピソードをよく書かれている。このお話は、広島で出会ったお好み焼き屋でのエピソード。店主さん、はじめて会ったおじさん、ご主人、ぽのこさんのやりとり。読みながら、おいしそうなお好み焼きの匂いがただよってくるようだった。

「あっ、このおじさんは天使なんだ……。」
そう確信した。

おじさんが、天使。一見、不思議なたとえに思う。でもその他の部分を読むとわかる。おじさんが天使であることが。

「天使」と受け止められたぽのこさんの心を覗いてみたい。クッションみたいに柔らかくて、お日様が差し込んであたたかくて。私が同じ場面を経験したとして、おじさんを天使だと表現できただろうか。

残された私たちは「なんか、すごいことが起きたね」「うん、奇跡だったね」と言葉を交わすのがやっとだった。

奇跡。そうなのかもしれない。でもその奇跡を引き寄せているのは、ぽのこさんとご主人だからこそだと、文章を読んで感じた。良いことが起こるべくして起こるというか。


「生涯かけてアイスよ」/ささいな笹さん

笹さんの文章がほんとうに好きで。さらさら…っと流れるように書いている中に、心に残る言葉がいくつも散りばめられていて。

このお話は、伯母様や伯父様とのエピソードが書かれている。過去と現在、そして未来。「アイスクリーム」をまんなかに置きながら、登場する人の心情がじわじわと伝わってきた。涙が出た。

空になったカップが、ゴミ箱で嬉しそうにしていた。

この一文で、そこに幸せな時間が流れていたことがわかった。

カップはモノだ。実際には嬉しそうにしたりしない。でも笹さんにはそう見えたんだ。その心持ちに、そう受け止められたことに、ただただすごいなぁと、頭が上がらない気持ちになる。こう書ける心のありようが、素敵すぎるなって。

できれば、あわよくば大切な人と「おいしいね、おいしいね」って、人生というコース料理を、アイスクリームでジャーンとしめたいんだ。

冒頭に書いてあるこの言葉の理由が、本文を読むとわかる。大切な人とおいしいねって食べるアイスクリーム。どんなにおいしいんだろう。どんなに幸せな時間なんだろう。

「生涯かけてアイスよ」。タイトルもすごくいい。「生涯かけて」に、いろいろな意味が込められている。

熱いうちに書こう!と思って雑なコメントで申し訳ない気持ち。。とにかく本文を読むが早い。時間をとって、じっくり読むことをおすすめしたい。短い映画を見るような気持ちで、それぞれの世界観を味わってほしい。(何様だ)


みなさんの文章を読んでいて、気がついたことがある。山羊さんの部分でもふれさせていただいたけど、「事実が詳細に描かれている」ということ。詳細に描かれているのに、くどくない。言葉の選び方。組み合わせ方。テンポ。リズミカルに物語が進んでいく感覚をもつ。


ちょうど今読んでいる本にも書かれてた。

伏線の張り方、登場人物の視線、物陰の気配、音楽、カット割り…。そうした、映画の中にはたしかに存在する「事実」、それに気づくこと。

事実を積み重ねて書いて、そうして、あとから思い出しても首筋のあたりに感じるような、高いところから一挙に落下するようなあの感覚、スリルを、読者に伝えるんです。

「三行で撃つ」より引用

事実を描く。そのためには事実に気づく必要がある。目の前で何が起きているのか。よく見る。気づく。感じる。残す。残すより残る、かな。それが書くことの出発点。

事実のとらえ方には、その人のフィルターが大きく影響する。同じ場面に居合わせても、フィルターが違えば事実のとらえ方は異なり、生まれる物語も別物になる。

このフィルターが「らしさ」とか「人間性」なのかな。本当にうらやましい。

もちろん私らしさを捨てたいわけじゃない。でもいい文章を書く人のフィルター、一度でいいからつけてみたい。どんなふうに見えるんだろう。どんなふうに受け止められるんだろう。

「こういう文章を書けるようになりたい」というよりも、「こういう文章を書ける”人”になりたい」という想いの方が近い。

目の前の現実を、3人のように受け止められるような、豊かな人に。

なれるかな。どうだろう。まずは事実を自分の目でしっかり見て、気づいて、感じるところから。心に残っていないことを、文章には書けない。


勝手に失礼いたしました。。

豊かな時間を、ありがとうございました。




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