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革を磨く楽しみ

私のひそかな趣味は、道行く人の持っているカバンや着ている革ジャケットが「本革か合皮か」を当てることだ。実際知らないその人に最終確認をするわけではないので「当たった」かどうかは不明なところだが、それを推測するのがなんとなく癖のようになっている。

その癖がつく発端は、そもそも革製品が好きということでしかない。
またなぜ革製品が好きかと問われれば、それを磨くことで長持ちしてくれ、柔らかくなり、よく言うところの「味」が出るからだ。そしてその味が時間を経る中で "熟成" し、たとえ大量生産品であっても自分しか持っていない一品へと変わる。ファッションにおいて人と被りたくないタイプの私には最適な素材であり、ブラッシュアップされた姿をみるのも楽しい。

自前の道具は、使用済みの歯ブラシ、ストッキング(or タイツ)、靴磨き用の硬めのブラシ、黒と無色のクリーム。これらで大体の革製品を磨く。

以前に仕事でラグジュアリーブランドの動向や活動をチェックしなければならない時期があった。
当時ちょうどファッションブランドではサステナビリティを意識し始めていた頃だった。彼らの多くの本革製品は合皮に、毛皮はフェイクファーに変わっていった。

そこで私はふと疑問がわいた。合皮とフェイクファーはサステナブル(持続可能)なのか?
どっちも長持ちしないし、手入れにも限界があるはず。燃やせばヘンなガスが出そうな気もする。
変えるのはそこじゃなくないか?
「大量生産・大量消費」を見直すことはしないのか?

そもそも皮革製品は、食肉用の動物の副産物なのだとばかり思っていた私がナイーブだったのか?
要するにそれ以上の数の動物を犠牲にしていたということなのか?と考えると、それを売る側の人間の欲と闇を感じざるをえない。

じゃなくて今こそ(改めて)日本が世界に誇る「モッタイナイ」精神だろう。
モノを長く大事にあつかう、使えるものはボロボロになるまで使うだけで、わざわざ外国語を使う必要なし。
未来のヒントは過去にみつける、これまた "アイデアのサステナ" みたいで今っぽいではないか。

合皮が台頭する今となっては、結局件の私のひそかな趣味は、もはや「かつての」とつけなければならないレベルにある。

しかし "熟成中" の靴や財布、カバンなどたまに引っぱり出してきては、
それらを磨き、「味」を調える。
これは持続可能な楽しみである。


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