人生に無駄はないと心から思った話

あるとき会社の同僚女性が、暗い顔をして落ち込んでいた。いったいどうしたのかと聞いてみると、小学生の娘さんのことで悩んでいるとのこと。

子育てに悩みはつきものだと頭ではわかっていても、子育てをしたことがない私には、そのリアルさを知ることはない。世のお母さんの悩みはどんな事なのだろうと、ちょっとした好奇心もあって聞いてみた。

彼女の話によると、小学生の娘さんが次の日の教科書の用意を前日にせず、言っても聞かなくて本当に困っているのだということだった。

語る彼女の表情からも、真剣に悩んでいることはよくわかったけれど、それを聞いて私の脳内に真っ先に浮かんだ言葉は、

(えっ?それが悩みになるんだ!)

悩みは人それぞれだし、決して軽んじるつもりはなかったけれど、彼女の重い顔つきから、もっと深刻な悩みなのかと思っていたので、正直なところ拍子抜けしたのだ。

その話を聞いて、私はふと自分の過去を思い出した。教科書に関しては、かなり苦い思い出があったからだ。


私はとにかく忘れっぽくて(今でもそれは変わらないのだけれど)、忘れ物は多いほうだった。
忘れ物だけではない。学校に行く途中でゴミを捨ててきてと親から頼まれて、歩いて20秒もしないゴミ置き場に置いていくだけなのに、すっかり忘れてゴミ袋を持ったまま学校まで行ってしまい、そこでようやく気が付いて学校の焼却炉に捨てさせてもらうということが何度かあった。

そんなレベルの忘れっぽさだったので、当日の教科書を揃え忘れて、前日の中身のまま登校したことは何度もあった。

大人しくて人見知りだった当時の私にとって、隣の人に

「教科書見せて」

と言うのは、それはそれは勇気のいることだった。

1時間目だけならまだ頑張って頼めても、それをこの後6回も言わなければならないと思うと、生きた心地さえしなかった。
しかも教科書を忘れる日に限って前日と被る教科が少ないという、運にも見放された状況・・・。

最初の1時間目はなんとか勇気を振り絞り見せてもらう。隣の人は普通に見せてくれてホッとするが、この時点で頭の中は次の授業のことを考えている。また見せてって言うのどうしよう、言いづらい・・・。

見せてもらっていることに感謝するよりも、今日一日をどう乗り切るかで頭はいっぱい。

2時間目、最初より声が小さくなりながらも声をかける。隣の人は親切に見せてくれるけれど、えっ?また!?と思われているような気がしていたたまれない・・・。

教科書を見せてもらう勇気は、だいたい2時間目で使い果たしてしまい、その後は教科書無しで授業をすることになった。隣の人が気がついて向こうから声をかけてくれないだろうかと、都合のよい淡い期待を抱くけれど、そんなことには一度もならなかった。

教科書がなければ、〇〇ページの図を見てくださいと言われてもなんのことかわからない。当たり前だけれど、教科書なしでは授業にならない。

しかし私の不安は授業がわからないことよりも、教科書無しでどう乗り切るかだけだったので、とにかく今日一日が早く終わりますようにとしか考えていなかった。
祈ったところでまったく意味はないのに、気持ちはとてつもなく一生懸命。その一生懸命さを、

「今日の教科書まるまる忘れちゃったから見せて」

と、隣の人にカミングアウトすることに使えばよかったと、今なら思える。

そもそもそこまで辛かったのなら、忘れないように努力をすればよいのだけれど、そういう事がなかなか出来ない子供だった。

学生生活が終えたときに、

(あぁ、もうあんな思いをしなくていいんだ・・・)

と思ったら、すごくうれしかった記憶が残っていた。


と、私は何の気なく自分の過去を思い出しながら話していたのだが、それを聞いた彼女は、

「なんかそれ聞いたらすごい安心した!」

と、さっきまでの顔つきとはうって変わって、明るくスッキリとした表情で私に言った。

(えっ?今の話で安心した・・・!?)

私は瞬時に頭を回転させた。この場合、二つのパターンが考えられる。
一つ目は、教科書を揃えるのを忘れても、目の前にいる私が立派な社会人の一人としてやっている姿を見て安心したパターン。

もう一つは、上には上がいると知って安心したパターン。
間違いなく後者だと確信した。話の途中で時折彼女から、

「え~っ!!」

という声が聞こえていた。彼女はとてもきちんとしている人だったから、そんなことはあり得ない出来事だったのだと思う。

話を聞き終えた彼女は気が楽になったのか、笑顔で立ち去った。

私がこの話をしたのは、彼女の気持ちを楽にするためではなく、娘さんの気持ちわかるわぁ~くらいの軽い気持ちだったのだけれど、こんなどうしようもない体験が人の心を軽くするのかと思ったら、本当に無駄なことはないのだなと、妙に感心してしまった。

でも本当に救われたのは彼女ではなく、私のほうだった。
私にとっては苦い思い出でしかなかったけれど、彼女の表情は私の苦い思い出から苦さを抜き取ってくれた。
たとえ彼女が私を救ったなどと一ミリも思っていなくても。

「その辛さ、今日報われたよ!」

心の中で当時の自分を思い浮かべながら、そう語りかけた。

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