人生100年時代、「暮らしを楽しむ」は今の私にだけに許された贅沢なのかも
家のことを楽しむのはもしかしたら、今だけの楽しみなのかも。ふとそう思ったのは、先日母と話してた時です。
私はいま35歳、母は72歳。
母は(本人はこれが当たり前と言うけれど)家のことをかなり熱心にやるタイプの専業主婦でした。
今思えば母はスーパー専業主婦だった
子供の頃は母しか知らないのでそれが当たり前だと思ってたけど、魚はあの魚や、肉はあの肉や、葉物野菜はスーパーA、豆腐と根菜はスーパーBというように、その店の得意なものやその日の仕入れ状況によって毎日店舗を数件はしごしてたのは、日々の食にかなり熱心な方だったように思います。
魚に詳しくて、鮮度がどうのだけでなく同じ魚でも水揚げがどこ産のものがいい、それも春はここ夏はこことか、、、もう私には覚えられないような食材知識。
掃除も洗濯も毎日こまめにやってたし、年末大掃除がいらないくらいなにかと中掃除もしてた。気づくとコンロの五徳を洗ってたのを覚えてるし換気扇も洗ってた。あれは年に一回くらいしかやらないものだと知ったのは最近です。
つい最近気づいたのですが、いわゆる家事だけでなく、インテリアも凝ってたような気がします。
実家の玄関は横長にかなり広く、しかも床板が斜めだったんです。私自身がマンションをリノベをしてみて初めて知ったのですが、床材って結構高い。カットして余りの出る斜めにはめたデザインはなかなかに贅沢なものだったはず。そもそも生活スペースではない玄関をたっぷり横ながに広くとった間取り自体とても贅沢。それだけこだわりがあったんだろうなあ。
季節行事もそれとなくやってて、端午の節句には菖蒲湯に入ったり、お正月は漆塗りのお屠蘇セットが華やかだったの覚えています。
おうちのことをせっせとやるには体力気力が必要
そんな、家事はもちろん家やインテリアにもこだわりがあったであろう母ですが、最近はかつてに比べるとその勢いは少しずつですが衰えつつあるようです。
「前は家は広い方がいいと思ってたけど、手入れが大変だしもう十分。コンパクトでいいかも〜」なんて声も。
そうか、やっぱりある程度年を取ると家のことをあれやこれやとやる体力も気力も衰えるものなんだなあ…
今でも母の家はきれいだし、料理も他の家事も正直ほかの家に比べたらだいぶマメにやってる様ですが、規模感としては少しずつ縮小しつつあるみたい。
まあ気持ちはわかる。
今だって私自身、体調悪い時は「家のことなんてどうでもいいよ、お皿だの花だのどうでもいいからとにかくサッと食べて早く寝たい」ってなるもんね。
家のことに精を出せる今のうちにおうちを満喫したい
若い時に比べて色々と身体に不具合の出てくる年になって同じように情熱を傾けるのは難しいと思う。変に無理してる方が危ない。
そう思うと、私がやれビンテージだDIYだお花を飾るだ季節の料理だとせっせせっせとおうちの時間に精を出していられるのも今だけなのかも!?
あまりに若過ぎる頃は家のことより外のこと。ほかに興味があり過ぎるし何より家のことを決めるのは親なので自分でいじれる範囲は限られてる。
それが独立して結婚して持ち家ができて今やっと最大限自由にできる時が来たわけです。
若すぎてもダメ、年を取りすぎてもダメ。
家のことに精を出せるのは中年期の今だけの楽しみなのかも。
人生100年時代。
老いたら老いたでまた違う楽しみもあるでしょう。
自分が70歳になる頃、「家のことはもうこの30年でやり尽くしたから十分だわ」と言えるように、おうちごとを思い切り楽しみ尽くしたいものです。
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