だから私は、うつわを買う前にリモコンを片付ける
「漆器が売れないのは漆器の人気が失われたためではない。今日でも素晴らしい漆器を見れば人々は感動する。しかし、それを味わい楽しむ暮らしの余白がどんどんと失われているのである。」
新幹線でコーヒーとカッチカチのアイスクリームを食べながら読んでいた本の一節です。意訳すると、良いうつわが売れないのはうつわに問題があるのではなく、食器を生かす部屋がないからということ。
「ものを用いるときに、そこに潜在する美を発揮させられる空間や背景がわずかにあるだけで、暮らしの喜びは必ず生まれてくる。そこに人は充足を実感してきたはずである。」
”そこに潜在する美を発揮させられる空間”がないと、いい食器買っても宝の持ち腐れだよね〜という話。
この本の中にも似た例が出てきますが、素敵な食器の隣にリモコンやレシートが散らばってたらどうですか?そのうつわの向こう側にあるイスの上に、試供品についてきた変なロゴのついたタオルがかかっていたらどうですか?その空間は「美を発揮させられる空間」でしょうか?
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たとえば美しい茶器を愛でる空間。
陶芸家で茶藝師の齋藤 有希子さんによる中国茶会へ吉祥寺の「Private Salon 間 awai」を訪れましたとき、そこはまさに茶器を愛でるにふさわしい空間になっていました。照明としても少し薄暗いのがかえって茶や茶器の陰影を際立たせているし、ここで飲むから集中できるのだなという。ヤマシタさんさんの設計さすがでした。
はたまた高野山の宿坊。この雅なうつわたち、純日本庭園を臨む広い和室で食べるから素敵に見えるんだろうな。畳や襖とマッチしてるからこその美だよなと。
食器というのはとかくお料理との関係で語られがちです。もちろん、食べ物を乗せるものなんだから当たり前のことなんですが、美ということを考えると必ずしもそれだけではないとずっと思っていました。
たとえばこのnoteで書いたように、食卓の色や素材とのマッチング。テーブルがあってこそのお皿なのです。
お皿は、空間の中に置かれるもの。その部屋がどんな部屋なのか?うつわの美は、むしろインテリアから逆算して考えられるべきなのでは。
私は本業スタイリストで、料理撮影だけでなくインテリアのスタイリングもしています。
例えばこんな感じとか。
自宅はフルリノベーションした中古マンションで、取材を受けたり
雑誌にも載っちゃいました。
そんなわけで、ずっと住まいのことにもとても関心があるわけですが、こと食器の話をするとどうもグルメとか料理の話にいきがちで...。なんとなくしっくりこない気持ちでいたのですが、やっと糸口が見つかりそうです。
食器のことをやっていて、インテリアのこともやっていて、という2つのことを繋ぐストーリー。深めて考えてみたいと思います。
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