鷹と鷲と西域の人

猛禽類の鷹と鷲。古代この鳥に喩えられた民族がいた。

鷹 ヨウ、オウ、たか

声符はヨウで广に隹とに従う。神意を示す鳥で、神鳥として養われた。鳥占に用いられた。應(応)はこれから分岐した文字。ただ気になるのは鷹が疒に従う形をとる点。字統では譌形とし誤った形とされるが、そうではないと思う。鷹は病と深い関係がある。また、モンゴル、中央アジアの遊牧民の間では鷹と言う言葉が力ある者の象徴として人名に用いられた。

鷲 シュウ、ジュ、わし

声符は就(シュウ)。黒色にして多子なり。南方に鳥あり。名付けて羌鷲と言う。西域にこの鳥多し。人の死を知りその屍を食う。鳥葬の俗に用いられる。

万葉集越中国歌

渋谿の 二上山に 鷲そ子産という 指羽にも 君かみために 鷲そ子産といふ

この二上山は富山県氷見と高岡にある双児山である。奈良にも二上山があるが、大伴家持はこの越中国で優れた歌を多く作る。

前回、氷見の多胡の浦について触れた。家持が愛した風景達である。

私は、この越中国歌の二上山の鷲が気になって仕方がなかった。この歌は、歴史的に隠された大きな事実を歌っている。この手掛かりが、鷲の漢字の意味にある。

南方の色黒で多産の女性。西域に住みついた。これはツバメとも絡んでくる。ツバメは玄鳥。玄鳥は中国の建国神話と非常に深く繋がる鳥だが、春にやってくる海洋民族を指していたのだと思う。だから、神話では燕は海に潜って蛤になるのである。蛤は蜃の属。蜃は辰と虫からなる。辰は貝が足を出して動く形。虫は蛇などを指す。蜃は肉が呪的な意味をもつものとして祭儀や予兆に用いられた。辰は振動の意味もあり地震の事も蜃が予兆した。貝が足を出す形は出産の形であるように見える。

つまり、生贄にされていた民族と言える。

「辰は5月に在り」と言う。春にやってくる海洋民族「燕」。妊婦は高く取り引きされた。妊婦に宿る生命力が豊穣への祈り、また死者の魂を入れる器としての力が重宝された。その中から、西域に住みついたのが、鷲になった。黒色にして多子である。死者の魂を入れる役割が、死者の葬いの役割の担い手に変化していく。鷲はジュー呪である。

二上山の鷲は、西域からやってきた葬送の儀礼を行う女性を意味していると思う。西域は広いが、恐らく鳥葬と関わるチベット。国を追われて日本にやってきた一族が、鷲。月氏。夜と死を司る。その女性王。

では鷹とは?

鷹は广と隹。广は岩屋を意味し、隹は鳥を意味する。岩屋の鳥、鳥占いから転じて占いを行う人を指すようになった。岩屋ー洞窟。鷹の伝承を知っているだろうか。鷹は70歳まで生きると言う。だが、40歳頃高い山に行って嘴や羽、爪を再生して生まれ変わるそうだ。鷹の意味は長寿と高い山と巌窟である。

立山開山は白鷹がキーワードになる。倶利伽羅で鷹を見かけ、立山まで追いかける話である。立山日石寺は行基が開き、不動明王の麿岩仏がある。倶利伽羅も不動明王。密教がこのルートから入ってきた。鷹とは密教を象徴しているのではないか。不動明王は「火」である。加羅ー火羅。羅は薄衣であり断層を指すと思う。活断層。不動は地震とも深く関わる。地鎮である。また金鉱脈とも深く結びつく。シルクロードは黄金の道とも言う。モンゴルアルタイ山脈の金が中国へ運ばれた道である。

敦煌、莫高窟。ここから鷹はやってきた。ここには月氏がいた。

鷹はヨウーつまり羊。

氷見多胡の浦ー二上山ー鷲。

倶利伽羅ー立山ー鷹ー羊。

西域からやってきた鷹と鷲。二上山は二神である。鷹と鷲。双児の男女の二神が越の地を分けた。



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