社会福祉⑤
あれは、私がケアマネジャーの資格を取得した一年目。
確か、27歳だったかな。
私はケアマネジャーとしてではなく、支援センターのソーシャルワーカーとして、67歳の末期癌の男性家族に関わった。肺がんの末期で、モルヒネを机に置いていたイメージがある。
名前は赤川さん。もちろん、偽名だ。
赤川さんは、次男さんと二人ですごしていた。長男さんは家をでており、次男さんは、救急救命士という立派な専門学校に、20歳後半でかよわれていた。
ふと、奥さんのことが気になったが、あまり話題にでないので、毎回、体調を伺う役目になっていた。抗がん剤をするたびに、体調を大きく崩すのに、自分で、車を運転していく赤川さん。
君の笑顔をみると、なんでだろかな、
ほっとするんだよな。
そんな言葉を毎回20代の娘のような私にかけてきた。わたしは、ありがたく、いつも、笑うことしかできなくて、訪問の車をおりる前に、自分に気合いをいれ、笑顔を作っていた。治療も、家庭支援も、なにもできない、でも、専門家。ソーシャルワーカー。一体、何なんだろうかと、いつも、自問自答していた。
こんにちは。
おっ、きたのか。なんとか、元気にやってるよ。
モルヒネを服用した跡がある。
ある日、彼は、わたしに、話をはじめた。
息子が救急救命士の学校にいっているのは、妻が交通事故で、現在も、首から下が麻痺で入院しているからだと。自分も、救急時にかけつけられるひとになりたいからと。
つづけて、赤川さんは、いった。
だからね、僕は、誰かに迷惑をかけて死ぬわけにはいかないんだよ。
はぁ、、
君の顔をみると、なんだか、ほっとするね。
腹部には痩せ細った体に、シャツの中に、タオルを③枚挟んでいるのが、すけてみえる。たまに、わたしの視線にきづいて、彼は、笑って腹部をたたく。
わたしは、わらえない。
何かできることはないですか?
サービスは、拒否される。
僕は、明日、妻の病院に行こうと思っているんだよ。
定期的に面会にいかれている、彼が、言語化することに、すこし疑問を抱いたが、わたしは、また、くる約束をした。
かえり、なんだか、気になって、公用車のなかで、手紙をかき、ポストにいれた。手紙をかいたのは、後にもこのとき、一回きりだ。
生きてください、と。
翌週、予定とうり、訪問すると、一段と痩せた赤川さんがいた。家も散らかっている。時々痛みではなせなくなる。もう在宅は限界だ、素人のわたしにも、わかる。病院をすすめた。でも赤川さんは、次男に、迷惑をかけれないという。長男にも遠方での生活があると、、
わたしは、すこし、きつくはなした。
いま、じゃなきゃ、いつ、家族なんですか!と
君をみると、ほっとする、ほんとに、不思議だ。怒られているのにな。赤川さんは、そういうと、何も心配は、いらない。君にも沢山世話になったな、ありがとうな、といった。
なんで、そんな言葉をはっするのか、
涙がでた、
わたしは、仕事中の時間だが、奥さんの入院している病院に行った、そこには、横たわる奥さんがいた。
首から下はうごかせない。
わたしは、ご主人の、名前を言った。
奥さんは、涙をながした。
あとで次男さんにきいたはなしでは、赤川さんが末期がんになり、介護を最期までする約束をしていた最中、奥さんが自転車で、車とぶつかり、赤川さんが、介護する立場になったと。
こんな、ドラマみたいな、やるせない、ことがあるのかと、わたしは、くやしくて、神様をうらんだ。奥さんは幾度、涙を流しただろう。
奥さんに、ご主人を病院に、とはなしかけたとき、奥さんは、なんとなく、首を横にふったきがした。しづかに、うなずくように。
これ以上、他人のわたしが入ってはいけないと思った。赤川さんも、次男と、話をちゃんとしていると言っていた。
無力だ。
ソーシャルワーカー
相談員なんて、無力だ。
本人が拒否したら、何もできない。
それから数日後、職場に警察から連絡が入った。赤川さんの自殺。
わたしは、わたしの心臓は、なにか覚悟をしていたかのように、ぴくりとも早くならなかった。
きっと、奥さんは、知っていたにちがいない。わたしは、再度、奥さんの病院に行った。奥さんに、赤川さんの死を話をした、彼女は、涙をながしながら、瞼をなん度もとじ、これでよかった、あのひとらしい、、まるで、そんな感じだった。
翌日、通夜が、長男さん次男さんを中心におこわれた。わたしと、同僚で、伺った。
立派に喪主をされていた。
父らしい、
父は、これでよかったんです、
父らしい、、
わたしは、この度は、、といいかけた途端に
涙があふれて、はじめて、言葉にならないくらい赤川さんを思ってないた。
彼らしい、
遺影が、彼らしい。
わたしの、仕事人生、
いや、
わたしの、人生そのものに、
しっかり、いきていた、証が残っている。
いろんな、人生
いろんなことがおこる
予想なんてできない
そして、無力でありながら、
仕事柄、かかわらせてもらうとき、
何かの形で、その人間の記憶に、介入できるよう頑張ってきた
意味があるのかと、とわれるとわからない
今回も、最期、ご家族の姿と、もしかしたら、わたしの笑顔を思い出してくださっていたのだろうか、、
ただ生きる、
なんと難しいことか、
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