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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#雑記

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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200

年始めに

年が明けた。 GWに植え替えたサンセベリアは新芽がすっかり伸びて新芽とわからないほどになった。ほったらかしも相変わらずだが、たくましく生きている。時は経っているのだなと思う。 スマホのカメラロールを見てみたら、崖や浜や滝、花や木々なども意外と色々撮っていて、あちこちに逃避に出かけていたことがうかがえた。私も振り返ればそれなりに一年分、時は経っている。 2021年は疲れて終わってしまった。一年を表す漢字と言われたら「疲」しか思いつかないくらい、疲れた。今年も疲れる予感がする

砂を均す

このところ読むのも書くのも全然できていない。とにかく息切れがする。 まったく業務と引き継ぎが落ち着かないまま、夏を迎えてしまった。 新たな心配事も増えた。 このところ家に帰れば力尽きてほとんど何もできないでいる。 しばらく書かないでいたら、書きたいと思っていたこともだんだん薄れてしまった。 最近は立ち止まる余裕がなく、立ち止まっても思案する時間がなくて、まとまる前に全部流れていってしまう。流しそうめんや回転寿司に手も出せないで見送ってしまう気分。昨年度も忙しなかったが、今年

みどりの日

先日、ゴールデンウィークに入ってからようやくタイヤを交換した。 最近は雨続きで、4月に雪が降ることもない地域に移ったため、もっと早くに交換しても良かったのだが、4月中は日程を空ける余裕がなかったために延び延びになっていた。 今年のゴールデンウィークは、雨が多いらしい。 雨の日の木々は、濡れて色が濃くなって、発色がとてもきれいなので、雨上がりの木立を眺めるのは好きだ。新緑の季節に雨はとてもいい。 高いところは山々もまだイノシシの背中みたいだが、下の山々はもこもこしていて眺める

ようやく休日

2月の末からずっと休日休めず、日々早出に残業続きなのでさすがに疲労が溜まってきている。まだやることが残っているが、今日は身体と精神のメンテナンスに注力することにした。 新居のキッチンで初調理をした。 作ったのは野菜スープで、具は、新玉ねぎと、春キャベツと、人参。次はトマトや大豆の水煮を買ってきて入れてもいいなと思う。次に食べたい気持ちが出てくるのはよいことだ。食欲は生きる気力のかけらであるから。そうだ料理酒とコンソメが切れてしまったので買ってこなければ。そうやって生きるペダ

ある日の散文

久しぶりに親友と会ったら、夢を諦めたと伝えられた。 挑戦しないまま身を引く選択をしたことに少し怒った。以前話してくれた決意を、話の端端に宿っていた熱を、今でも覚えている。あれは嘘だったのかと。 なんだか寂しくなった、ともに頑張りたかったのに。 数時間後の自分が何処にいるかさえも分からない、と打ち明けた彼は一人暮らしのフリーターとして時間を切り売りして生きている。そして僕には、書き続けてほしいとか言うのだ。 けど、僕のは夢とかいう大層なものじゃない。魂が向いた方へ、気持