砂を均す

このところ読むのも書くのも全然できていない。とにかく息切れがする。
まったく業務と引き継ぎが落ち着かないまま、夏を迎えてしまった。
新たな心配事も増えた。
このところ家に帰れば力尽きてほとんど何もできないでいる。

しばらく書かないでいたら、書きたいと思っていたこともだんだん薄れてしまった。
最近は立ち止まる余裕がなく、立ち止まっても思案する時間がなくて、まとまる前に全部流れていってしまう。流しそうめんや回転寿司に手も出せないで見送ってしまう気分。昨年度も忙しなかったが、今年はなんだかまた違った感じで、キューが溜まって動作が重い感じがする。

そろそろ何かを書いておかないと、ほんとうに流れていって戻って来られないような気がする。
なんとなく、書かなくても読まなくても過ごせてしまううちに、その過ごせてしまった事実が、波が砂浜を均すように、記憶や興味関心を均してしまうのだと思う。そのまま、自分にとってくっきりとした形を持って必要だったものの輪郭がぼやけてそうでもないものになっていき、遠ざかってしまう。いつも、そうしてことばを失っていき、世界に興味を失っていく。
だがそれにはまだ抗いたい気持ちもあって、だから今日はまとまらなくてもこれを書く。

きっと、もっと、切れ端や断片を残しておけばよかったのだろうと思う。
とにかくいつでも何でも殴り書きでもまとまらなくても考えたことを残しておいたら良かった。内省することばなんてものは自分にだけわかればよくて、胸の内から出るものをはじめから整ったことばで人に説明しようとするのが間違いなのだ。説明しようとすることは自分の世界と外の世界との翻訳だから、労力がいるし疲れるので億劫になる。億劫になれば、やらなくなる。やらなくなれば、薄れてまぁいいかとなり、消えていく。

連休は静かな時間を過ごしたい。好きなだけ立ち止まってゆっくりあれこれ考えを巡らせたいし、そうしてじっくりとミョウバンの結晶みたいなものができるのを待ってゆっくり引き上げたい。そんなように文も書きたい。
山にも行きたいし海にも行きたい。そして星を眺めたい。穏やかな気持ちで飽くまで眠りたいし、目が覚めたときに起きたい。水や木や光にこころ動く私でいたい。少しでいいから予定や計画のない、心配事のない、私を縛らない日々を過ごしたい。
休みたい。なにかをちゃんと、見つめたい。
均されてしまわないように、固めておきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?