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2022年2月の記事一覧

宇露戦争と宗教についてのメモ

 全世界が固唾をのんで見守る中、ウクライナがロシアに進攻された。または、ロシアがウクライナでの平和を維持するために特別作戦を実行した。それで、ふと思い出したのでメモとして以下を置く。ロシアとウクライナの宗教の話である。  多くの人々の印象の通り、ロシアもウクライナも「正教会」のキリスト教徒の多い国である。もちろん両国ともに様々な宗教がある。ロシアは広大な連邦国家だから仏教徒もイスラム教徒も含む。それにキリスト教も正教会だけではない。  たとえば宗教改革期・再洗礼派のメノナ

「言葉に酔う」人たちが至る「境地」と狂気

 人間には本当に「言葉に酔う」ということがあるので、これはとくにSNS時代である現代においては、かなり意識的に気をつけておかないといけないことであろうと思う。

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原始の神社をもとめて

 岡谷公二はフランス文学者・美術史家であるが、にもかかわらず民俗学に造詣が深い。先日たまたま古本屋で拾った新書の束のなかに彼の著書『原始の神社をもとめて 日本・琉球・済州島』をみつけた。前持ち主は、日本古来の宗教に関心があったのだろう。関連する分野の本10冊を2千円ほどで購入できた。そのうちの一冊が岡谷『原始の神社をもとめて...』だった。まず章立てを確認しよう。 第一章 済州島の堂との出会い 第二章 韓国多島海の堂 第三章 済州島の堂とその祭 第四章 沖縄の御嶽 第五章 

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彼/女たちは「自由の擁護者」なのか、あるいはそれを踏みにじる者か

 いわゆる「キャンセル」の風潮に反対する人たちは、自身を表現の自由等の「自由権の擁護者」の側に位置づけていることが多いように見受けられるが、その自認は実態を反映したものなのだろうか、場合によっては、彼/女たちの言動がもたらす効果は、むしろ逆のものなのではないか、といったことを最近はよく考える。

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信仰の仕事の話

 確定申告から逃げているつもりはないが、興味関心のおもむくまま、霊能者と呼ばれる人々に連絡をとり話を聞いている。いわゆる「本物」は稀である。それでも運よく、そういう人々から話をきく機会がある。  ライターの取材でもあり、研究関心でもあり、ぼくの信仰や使命に関することでもある。そう、ぼくの信仰の仕事の話だ。  今晩もニコニコ動画を友人らと眺めていた。飛ぶ鳥を落とす勢いだった「ニコニコ」も今や焼き鳥になるまであと少し。サービス終了まではいかないが、かつての権勢はない。ぼく個人

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グッバイ、大学

どうやら大学を卒業できるらしい。 大学を卒業するということはつまり僕は大学生であり、これまでも大学生だったわけだ。だが、どうにもしっくりこない。自分が学生であったという事実が。 僕は、集団とか、組織といったものへの帰属意識が著しく低い。これは幼少期からずっとそうで、大学に対してのそれも低いどころかほとんど皆無といっていいくらいだ。 どの大学に通っているか、とか、学部学科などの所属。そういうこと自体おおよそ何の意味もないことだと思っている。 周知のように2020年に例の

「素人くさい文章」について思うこと

 しばらく前に、知友の人たちと「形式面でよろしくない文章」について話したのだが、まあこれは「誰に読ませる文章か」によっても相当に異なってくる問題であるし、一般論に落とし込むのはなかなか難しいテーマだなあと、改めて思うなどした。

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真に「サバンナ」を求める人がどれだけいるのか

 先日のツイキャスでは、限定放送なのになんだかテンションが上ってしまって、2時間以上も一人で喋り続けてしまった。 (※録画視聴パスは、2月1日のエントリから取得できます。)  普段のキャスでもそこまで遠慮や忖度はしていないつもりであるが、とはいえ視聴者がそれなりに限定されている場であるからこそ、踏み込みやすいトピックや議論というのはやはりあるのかもしれない。来月以降も、こういうキャスは月に一回くらいはやっていこうと思うなどした。

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日常にもどる

 12月中旬より浮いていた。もろもろ理由はあるが、それが1月になっても続いていた。そろそろ日常に戻らねばなるまい、と思っていたら1月下旬から2月初旬はコロナに罹ってしまい倒れていた。  気がつけば2022年も11%が消失している。ヤバい。すでに一割超を呆けたまま消失したわけである。これは良くない。  ということで今日は建国記念日である。キリスト教界隈では「信教の自由を守る日」である。中高生時代以来、日本の教会文化を背景にして育ったので意義は理解しているつもりだが、とくにコ

私たちを自律へと向かわせる別の原理

「私が任意に振る舞うことは自由であるが、あなたのその行為は自由の範囲には含まれない」といった(某SNSでは普通によく目にする)主張について厳しく批判を加える人は多いものの、とはいえそうした横暴を掣肘するためには、国家(社会)全体の公益という観点を明示的に導入する必要がありますよね、という話になると、途端に腰が引けてしまう人もまた多いようだ。

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自覚なき信仰がもたらす「幸福」のこと

 せっかくなので、こちらの話も早めに片付けておくことにしよう。

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暴食のタコの「都落ち」

 上掲の過去エントリで、それ以前からも折にふれて述べてきた「高度お気持ち社会」について改めて記載しておいたのだが、以後も状況はますます深(刻)化し、いまや多くの人々の目にも、同社会の具現化が着々と進行している現状が明らかとなってきているのではないかと思う。 「高度お気持ち社会」とは何かという点に関しては、これまでも繰り返し説明してきたので本稿では改めて詳細に書くことはしない。気になる人は上掲記事のリンクをクリックしていただければ、無料部分に貼り付けてあるツイートを一読してい

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ホストがシマウマになってしまう話

「人を集める場のホストとなり、そのことのリスクを負担すること」にまつわる話を聴いていて、これはたしかにすぐれて現代的な問題だなあと感じるなどした。

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「わいせつ」と「社会通念」の話

 今日は珍しく(?)、「わいせつ」の話をしてみよう。

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