本来、「働く意味」を感じて、そこから「学ぶ意味」が生じるのではないか?

◆ 子どもたちは「学ぶ意味」を喪失している
小・中学校の生徒数が減少しているにもかかわらず、不登校児は9年連続で増加し、令和3年度には過去最多の24万人を超えた。10年前に比べ小学生3.6倍、中学生1.7倍もの増加で、もはや特定の子どもの問題では済まないレベル。

この問題には、学校の制度や子どもの人間関係や学ぶ中身など様々な要因が重なっているが、学校は学びの場なのだから、問題の本質は子どもたちの「学ぶ意味(動機づけ)の喪失」にある。

◆「学ぶ意味」は、社会に出てから役に立つため。
不登校が急増する10年ほど前の2004年に、日本経団連は「ものごとの本質をつかみ、課題を設定し、自ら行動することによって問題を解決していける人材を求めている」とし、現在の教育はそれに応えていないと指摘し改善を求めた。
今の教育は社会の仕事の場で役に立つ人材育成になっていない、働く実社会と学びが繋がっていないという指摘である。
一方で、文部科学省は2004年に「キャリア教育」の指針をだし、多くの学校で社会体験や自然体験等の活動を実践しだした。
そのなかには「職場体験」も含まれ、公立中学校の職場体験は、2004年度90%、2017年度99%とほぼすべての学校で実践している。
★にも拘わらず、不登校は増加し続けている。職場体験しても学びの意欲につながっていない。

◆「働く意味」の収束不全が「学ぶ意味」の収束不全を起こしている
とすれば、学校の学びと実社会(仕事)がつながらないのは、学校側だけの問題ではなく、働く場=企業側にもある。
であるならば、子どもたちの学ぶ意欲の低下は、大人の働く意欲の低下が本質原因ではないだろうか。
昔の寺子屋があった江戸時代は、農家であれ商家であれ武家であれ、集団の生産課題に直結した学びであった。
また、集団課題が薄れた現代になっても、一昔前までは豊かさ欠乏に導かれた個人(や家族)の私権(地位、お金)を求めて働く意欲も生じ、そのために学ぶ意欲を生じさせていた。
しかしそれも、豊かになった今は、それでは働く意欲は生じなくなっている。そして、そのための学ぶ意欲も生じなくなっている。
★学ぶ意味と働く意味は直結している。『働く意味』があって『学ぶ意味』が生じる。
学校での学ぶ意欲が低下(→不登校)しているのは「学ぶ意味」が混迷(収束不全)しているからであり、それは企業での働く意欲が低下しているからで、それは「働く意味」が混迷(収束不全)しているからであろう。

◆「働く意味」→「学びの意味」はどこに向かう?
働く意味、そのために企業がどこに収束するのかが見えないと、子ども達の収束先も見出せない。
企業は、社員のヤル気(活力)を上げるのに、個人の私権のためでもダメ、自集団のためでもダメという壁に直面し、社会の役に立つ“志”につながる「社会課題」が不可欠となっている。
また、今や企業は「社会課題」を大義名分に立てないと、人も集まらず、資金も集まらず、評価も得られず、事業が成立しないという現実がある。
また、これまでの常識や手法が通用しなくなり、自集団の範囲でとどまれない⇒様々な企業や関係者と「共創」が必要。そのためには共創するための大義名分となる「社会課題」に向かわないと事業が推進しないという現実がある。
★教育も同様で、自分のためでもダメ、自集団(家族や友人)のためでもダメ、社会課題を起点にしないと勉強する意味を見出せないのではないか。

Q.企業の本音は「社会課題に取り組みたい」よりも利益拡大・株価維持にあるのでは?
社会課題に取り組まないと淘汰されるから取り組む(投資する)という見方もある。
社会課題の大義名分があってこそ、国もそこに投資し、それが企業の事業を推進する。
例えば、CO2温暖化も、その論理そのものは科学的にあやしいが、CO2削減の事業により大量消費・廃棄を減らすなどの働きがあり、実態として地球環境の社会課題に寄与する。
また、社会潮流になっているSDGsにしても同様。
建前でも社会期待(課題)に取り組んでいくなかで「共創」を可能にし、新たな事業を成功に導く。結果として、顧客に喜んでもらい、人びとの評価を得ることで、建前が本音になっていく。今や、社会課題を事業に組み込んでいく企業が生き残り発展していく。

★そして重要なのは、社会課題を実現していく過程では、誰もが認められる事実を基に追求して事業を展開してゆくから、CO2温暖化にしてもSDGsにしても、事実との不整合やおかしさが浮かび上がってくる。そこで更なる探索がはじまり、本物の「事実認識」に出会っていく。そしてそこに収束してゆくほど中身が本物になっていく。
そうしてその事実認識が鮮明になっていくほど、企業は本物の社会期待に応える存在になっていく。
そうすると、子どもたちもそこに可能性収束し「学びの意味」を見出していく。
現在は、社会課題への取り組みがだんだん建前から本音→本物になろうとしている時代(転換点)なのではないだろうか。
★これが本物になった時、「働く意味→学ぶ意味→学びの意欲→教育の再生」につながっていく。
仕事を通して「学ぶ意欲⇒学びの意味」と中身を再生していくことができるかが、われわれ働く大人に突きつけられている。

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